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名古屋高等裁判所 昭和52年(お)2号 決定 1988年12月14日

主文

本件再審の請求は、これを棄却する。

理由

第一  本件再審の請求の趣旨及び理由

本件再審の請求の趣旨及び理由は、請求本人が作成した昭和五二年五月一八日付「再審請求書」、弁護人小池義夫と同田畑宏と同豊川正明と同中村亀雄と同吉田清との五名が連名で作成した昭和五三年一二月一二日付「意見書」、右弁護人五名が連名で作成した昭和五四年一〇月一一日付「第二意見書」、右弁護人五名が連名で作成した昭和五六年七月三一日付「第三意見書」、右弁護人五名が連名で作成した同年一一月二〇日付「意見書(第四)」、右弁護人五名と弁護人鈴木泉との六名が連名で作成した昭和六二年七月五日付「意見書」、右弁護人六名が連名で作成した昭和六三年三月五日付「補充意見書(その一)及び右弁護人六名が連名で作成した同年一一月二一日付「補充意見書(その二)」の各記載のとおりであって、その要旨は、「名古屋高等裁判所刑事第一部は、請求人に対する名古屋高等裁判所昭和四〇年(う)第七八号殺人及び殺人未遂被告事件(以下「本件被告事件」という。)について、昭和四四年九月一〇日、『請求人は昭和三六年三月二八日夕刻三重県名張市〓尾七六番地にある名張市薦原地区公民館〓尾分館(以下「本件公民館」という。)において、同日夜本件公民館で開かれる三奈の会(一二名の男性と二四名の女性との会員で組織されている生活改善グループであり、これを以下「三奈の会」という。)の恒例懇親会に出席する女性会員に提供するために準備されている瓶詰めぶどう酒一・八リットル(以下「本件ぶどう酒」という。)の中に有機燐製剤の農薬ニッカリンT若干量を混入すれば右農薬混入の本件ぶどう酒を飲む右女性会員が右農薬による中毒のため死亡するかも知れないということを充分認識しながら、右女性会員が死亡してもよいという未必の殺意の下に、四立方センチメートルないし五立方センチメートルの有機燐製剤農薬ニッカリンT(以下「本件農薬」という。)を混入し、その後同日午後八時ころから始められた右懇親会に出席中の三奈の会女性会員二〇名に本件農薬混入の本件ぶどう酒が提供されたところ、右女性会員二〇名中一七名が本件ぶどう酒を飲み、そのため、右一七名中五名が本件ぶどう酒摂取による有機燐中毒のため死亡し、右一七名のうち残りの一二名が本件ぶどう酒摂取による有機燐中毒症の傷害を受け、もって、右二〇名中五名に対しては前記殺害の目的を遂げたけれども、右二〇名のうち残りの一五名に対しては前記殺害の目的を遂げなかった。』という事実を認定判示し、『請求人が以上の殺人と殺人未遂との各罪を犯した。』という理由で請求人を死刑に処する旨の判決を言い渡し、この判決(以下「本件確定判決」という。)が昭和四七年七月五日確定したが、本件確定判決認定判示の日時場所で始まった三奈の会恒例懇親会に出席中の三奈の会女性会員二〇名に毒物混入の本件ぶどう酒が提供され、右女性会員二〇名中一七名が毒物混入の本件ぶどう酒を飲んだことにより右一七名中五名が有機燐中毒のため死亡し、右一七名中残りの一二名が有機燐中毒症に陥ったという事件が発生したこと(この事件を以下「本件事件」という。)は本件確定判決認定判示のとおりであるけれども、請求人が本件ぶどう酒に異物を混入したことや未必的にもせよ他人に対し殺意を抱いたことは全くなく、したがって、本件被告事件においては請求人に対し無罪の言渡しをなすべきものであったところ、かかる無罪の言渡しをなすべき明らかな証拠をあらたに発見したから、ここに、刑訴法四三五条六号の規定により再審の請求をする。」というのであり、請求人は、別表第一から別表第四までの各証拠を当裁判所に提出したうえ、「右各証拠が以上の『無罪の言渡しをなすべきことが明らかな証拠であらたに発見されたもの』に該当する。」と主張している。

第二  当裁判所の判断

本件再審の請求の理由にかんがみ、本件被告事件の裁判記録全部(以下「本件確定記録」という。)を検討してみると、名古屋高等裁判所刑事第一部が本件被告事件について昭和四四年九月一〇日、本件再審の請求で主張されているとおりの事実を認定判示し、右事実に基づき「請求人が殺人と殺人未遂との各罪を犯した。」という理由で「請求人を死刑に処する。」という判決を言い渡し、この判決が昭和四七年七月五日に確定したことは、請求人の主張のとおりである。

そこで、以下、別表第一から別表第四までの各証拠が、本件被告事件について、あらたに発見された証拠で、かつ、請求人に対し無罪の言渡しをなすべきことが明らかな証拠であるといえるか否かについて検討する。

一  証拠の新規性について

まず、別表第一から別表第四までの各証拠が、刑訴法四三五条六号にいわゆる「あらたに発見」された証拠に該当するか否か、すなわち、新規性を具備するか否かについて、右各証拠と本件被告事件において既に取り調べられている各証拠(以下「本件旧証拠」という。)とを比較検討してみる。

1  同一人の供述

別表第一の6、同20、同22中請求人供述部分、同23、同24中神谷逸夫供述部分、同25、同29中白沢今朝造供述部分、同30中山田清松供述部分、同42中奥西コヒデと奥西〓雄との各供述部分、同51、同52、同64中奥西政信供述部分、同68、別表第二の3から8まで、同13から20まで、別表第四の1、同4及び同7・8のうち井岡百合子等各供述部分は、いずれも、本件旧証拠中の供述をした者の当該供述とは別の機会における供述を内容とするものであるから、本件旧証拠中の供述との間に実質的差異があると判断される場合、初めて、新規性を具備すると認められるに過ぎない。

(一) 全部実質的差異のあるもの

別表第一の6、同24中神谷逸夫供述部分、同25、同29中白沢今朝造供述部分、同42中奥西コヒデ供述部分、同64中奥西政信供述部分及び同68は、いずれもその全部につき、実質的差異があり、したがって、新規性を具備するものと認められる。

(二) 一部実質的差異のあるもの

別表第一の20、同23、別表第二の3、同5から7まで、同14、同15、別表第一の51、同52、同22中請求人供述部分、別表第二の18から20まで、別表第四の1、同4及び同7・8のうち井岡百合子各供述部分については、そのうち、以下の(1)から(8)までに掲げた部分は、実質的差異があり、したがって、新規性を具備するものと認められるが、それ以外の部分は、本件旧証拠中の同じ供述者の供述との間での実質的差異がなく、したがって新規性を具備してはいないと判断される。

(1) 奥西〓雄(別表第一20)

別表第一の20中、「奥西〓雄(以下「〓雄」という。)が本件事件当日本件公民館で奥西フミ子(以下「フミ子」という。)に頼まれ本件ぶどう酒を開栓したが、この栓はキルク栓であり、また、その当時三奈の会の会員は円満かつ協力的で何一つ問題を起こしたこともなかったから、本件ぶどう酒を酒屋から購入したのち、これに毒物が混入されるということは考えられない。」という供述部分とフミ子の酒量に関する供述部分と「本件事件による死亡者は皆何も言わずに死亡した。」という供述部分

(2) 奥西〓雄(別表第一23)

別表第一の23中、「〓雄としては、このような恐ろしい本件事件が何故発生したかと色々考えて、警察の捜査に積極的に協力し、一日も早い解決を念願している。」という供述部分と「本件ぶどう酒を酒屋から購入後これに毒物を混入するような人物としては、〓雄が直接見聞したことと風評とにかんがみて、〓雄の妻フミ子と〓雄の母奥西コヒデ(以下「コヒデ」という。)とは折合いが悪かったので、フミ子とコヒデの二名が挙げられるが、本件事件当時〓雄方にはテップは全く無かったし、また、岡村清子も平素は酒を飲めるのに本件ぶどう酒は飲まなかったので、同女も挙げられ、請求人の妻奥西チエ子(以下「チエ子」という。)と北浦ヤス子(以下、「ヤス子」という。)と請求人とは本件事件当時三角関係にあり、この関係の悪化のため、請求人も挙げることができる。」という供述部分

(3) 奥西コヒデ「別表第二3)

別表第二の3中、「本件事件当日本件ぶどう酒が〓雄方に到着した際、下車した石原利一からフミ子が本件ぶどう酒を受領したのをコヒデが目撃し、その後本件ぶどう酒は〓雄方小縁に長時間置いてあったが、同日午後五時ころ請求人が本件ぶどう酒を持ち出すのをコヒデが目撃した。」という供述部分と「コヒデもフミ子も気が強く、コヒデがフミ子に手を挙げたり追い掛けて殴ったりしたこともあった。」という供述部分と「お神酒用には、男竹か女竹か分からないが、生竹を使う。」という供述部分

(4) 萩野健児(別表第二5~7・第四1・第四4)

別表第二の5から7までと別表第四の1と同4とのうち、「萩野健児他二名作成の鑑定書(本件確定記録一四五一丁)で取り扱った鑑定資料18の黒色炭化物若干量の検査では、この炭化物に付着していた灰に燐が含有されているか否かの検査もしたが、この灰から燐は検出されなかった。」という供述部分と「三重県警察本部鑑識課法医学化学係が三線ポートワイン四つ足替栓(津地方裁判所昭和三六年押第四九号の一九)について鑑定の依頼を受けたことはなく、また、請求人の歯型の採取や請求人の歯型と三線ポートワイン四つ足替栓(津地方裁判所昭和三六年押第四九号の一九)との対照鑑定をしたこともない。」という供述部分

(5) 新矢了(別表第二14)

別表第二の14中、本件事件当日新矢了が本件公民館の屋根上において電気工事をしていた際に請求人と坂峰冨子(以下「坂峰」という。)とが本件公民館に入って行った際の右二名の到着順序に関する供述部分と右工事の最中新矢了が本件公民館玄関内に入ったという事実や右工事の終了後新矢了が本件公民館前の坂の下で目撃した事実に関する供述部分

(6) 井岡百合子(別表第二15)

別表第二の15中、井岡百合子(以下「井岡」という。)の本件事件当日における〓雄方訪問(二回)に関する部分のうち、最初の訪問前の請求人の作業状況の目撃に関する供述部分と「右最初の訪問の際、〓雄方に誰もいなかった。」という供述部分と二回目の訪問の最中における請求人と坂峰との二名の行動に関する供述部分と本件事件当日における林檎移動販売車の目撃に関する供述部分

(7) 井岡百合子(別表第四7・第四8)

別表第四の7と同8とのうち井岡供述部分中、本件事件当日における〓雄方訪問(二回目)の最中、井岡が〓雄方台所から屋外便所に行き、また台所に戻って来たことがあったが、便所に行くときには、玄関上り口小縁に本件ぶどう酒等が置かれているのを見なかったけれども、便所から台所に戻るときには、右小縁に本件ぶどう酒等が置かれており、その傍に(台所との境付近に)フミ子が立っているのを目撃したことに関する供述部分

(8) 請求人(別表第一51・第一52・第二18~20等)

別表第一の51と同52と同22中請求人供述部分と別表第二の18から20までとのうち、「妻チエ子が本件ぶどう酒に毒物を混入した犯人であると請求人が考えたのは、請求人夫婦の長男が他人の西瓜を盗んだことや右長男が他人の子に傷を負わせたことのため請求人の両親との折合いが悪くなったことを妻チエ子が悩んでおり、また、昭和三六年三月三一日名張警察署からの帰途請求人が石原利一に対して『本件ぶどう酒は誰が開栓したのか。』と尋ねたところ、同人が『石原がチエ子に頼まれて開栓した。』と答えたので、その後請求人がニッカリンTの保管場所を点検したら、ニッカリンTが見当たらなかったためである。」という供述部分と「請求人が、本件ぶどう酒に毒物を混入したことはないのに、『請求人が本件ぶどう酒に毒物を混入した。』と自白したのは、『チエ子が本件ぶどう酒に毒物を混入した。』と請求人が警察で述べたことのため、チエ子の実母桂きぬ子から『請求人の子の面倒をもう見ない。』といわれ、請求人としては、桂きぬ子に請求人の子の面倒を見てもらいたかったことと、請求人が盗電工事をしているのが発覚すると請求人の面子が潰れるので、右盗電用配線の取外しの連絡を捜査官に請求人が依頼したところ、捜査官が請求人に『わしの言うことに従うならば、連絡してやる。』といったこととのためである。」という供述部分と「請求人は、本件ぶどう酒を携えて本件公民館に行ったとき、本件公民館の前の坂の上で宮坂栄に会った。」という供述部分と「請求人が本件ぶどう酒を携えて本件公民館に赴いた際、請求人は、一升瓶を一本ずつ両脇に抱え、一升瓶一本を両手で横に支えるようにしていた。」という供述部分と「ヤス子と請求人とが屋外で肉体関係を結んだことはなく、ヤス子と請求人とが肉体関係を結んだのは、すべて、ヤス子の実家の山本方であるが、右山本方の家人への迷惑を考え、請求人は、これまで、『ヤス子と請求人とは屋外で肉体関係を結んだ。』と供述してきた。」という供述部分と「請求人は昭和三六年三月三〇日と同年四月一日とに司法警察員からの取調べを受けたことがあり、また、請求人が検察官からの取調べを受けたのは昭和三六年四月一五日と同年四月一六日との二回だけである。」という供述部分と「昭和三六年三月三一日午前九時三〇分ころ名張警察署で請求人が警察官に『〓雄の妻フミ子は姑との仲が悪く自殺したいと言っている旨チエ子から請求人が聞いたことがあるし、フミ子なら〓雄方で本件ぶどう酒に毒物を混入することができたと思う。』と供述したことがある。」という供述部分

(三) 全部実質的差異のないもの

別表第一の30中山田清松供述部分、同42中奥西〓雄供述部分、別表第二の4、同8、同13、同16及び同17は、本件旧証拠中の同じ供述者の供述との間での実質的差異がなく、したがって、新規性を具備してはいないと判断される。

2  新聞記事(別表第一56)

別表第一の56については、そのうち、毎日新聞36・3・30付朝刊と同36・3・30付夕刊と同36・3・31付朝刊と同36・3・31付夕刊と同36・4・1付朝刊との各記事は、本件旧証拠中の毎日新聞記事(本件確定記録八二七九丁から八二八三丁まで)との間での実質的差異がなく、したがって、新規性を具備してはいないと判断されるが、その他はすべて、新規性があると認められる。

3  その他

別表第一から別表第四までの各証拠中、前記1と同2とにおいて新規性を具備してはいないと判断されたものを除き、その他はすべて、新規性があると認められる。

二  証拠の明白性について

〔前文〕 明白性の判断基準及び結論

請求人が当審に提出した各証拠のうち、本件確定判決の言渡し後にあらたに発見されたものは、前述のとおり、前記一の1と同2とで新規性がないとされたものを除いた各証拠(以下「本件新証拠」という。)であるので、以下、本件新証拠が請求人に対して無罪を言い渡すべき明らかな証拠に当たるか否か、すなわち、証拠の明白性が認められ得るか否かについて判断するが、この判断に当たっては、本件確定判決が「罪となるべき事実」の認定に際し依拠した証拠の構造にかんがみ、まず、本件新証拠それ自体と当裁判所において取り調べたその余の各証拠と本件旧証拠との対比検討により本件新証拠の証明力を吟味したうえ、本件新証拠がそれと有機的に関連する本件旧証拠の証明力にいかなる影響を及ぼしているかということを検討し、右検討により本件旧証拠の中の証拠の証明力が本件新証拠によって減殺されたということが明らかになった場合でも、本件確定判決の認定判示にかかる「罪となるべき事実」について、本件旧証拠と本件新証拠を含む当裁判所において取り調べた各証拠とから合理的疑惑が生ずるか否かに関して吟味、検討するのが相当であると考える。

そして、当裁判所は、以上の過程に従って吟味、検討を重ねた結果、後述のとおり、本件新証拠によりそれと有機的に関連する本件旧証拠中の一部の証拠の証明力が減殺されるに至ったが、結局のところ、本件旧証拠と本件新証拠を含む当裁判所で取り調べた各証拠とを総合して検討してみても、本件確定判決の認定判示は、これを左右することができず、したがって、請求人が本件確定判決の認定判示のとおりの殺意を抱き、右殺意のもとに本件ぶどう酒に本件農薬を混入したという事実について合理的疑惑は存在しないといわざるを得ないという結論、つまり、本件新証拠は、すべて、証拠の明白性が認められないという結論に達したが、本件再審の請求における請求人の主張にかんがみ、以下のとおり付加説明を加えることとする。

1  ぶどう酒到着時刻(〓雄方)

請求人は、「本件ぶどう酒が大阪市浪速区所在の西川洋酒醸造所こと西川善次郎方で製造され、三重県名張市内の酒類販売業梅田英吉商店を経由して同市薦生三五二番地林酒店こと林周子方に卸された三〇本の瓶詰めぶどう酒のうちの一本であり、本件事件発生の当日、右林酒店で林周子の弟の妻の副野清枝から三奈の会会員の石原利一に手交されたものであって、その後同人が本件ぶどう酒を〓雄方居宅まで運び、そこで〓雄の妻フミ子に本件ぶどう酒を渡し、それからのち、本件ぶどう酒が〓雄方居宅表玄関上がり口の小縁に置かれてあったのを請求人が本件公民館に運んだことは、本件確定判決認定判示のとおりであるけれども、本件ぶどう酒が石原利一からフミ子に渡されたのは、午後五時三分ころ(本件確定判決中の説示)ではなく、午後三時前であり、その後二時間以上もの間、本件ぶどう酒は前記小縁に置かれていたのであり、このことは別表第一の20と同23と同42と同46と別表第四の5と同7と同8との各証拠によって明らかであるから、本件ぶどう酒が前記小縁に置かれていた二時間以上もの間に何人か(例えば、フミ子)が本件ぶどう酒に毒物を混入したものであるかも知れないという合理的疑惑が濃厚である。」と主張する。

(一) 〓雄供述

別表第一の20と同23とのうち新規性の認められる部分(前記一の1の(二)の(1)及び(2)参照)の中には、本件ぶどう酒がフミ子に渡された時刻の問題に触れているところはない。

なお、別表第一の20のうち「〓雄は本件事件発生当日午後二時ころ石原利一に対して『林酒店でぶどう酒を購入し、これを〓雄方居宅に届けてもらいたい。』と依頼した。」との供述部分は、本件新証拠には該当しないのみならず、本件旧証拠中の〓雄の検察官に対する36・4・8付供述調書(本件確定記録四五七丁以下)における「〓雄は本件事件発生の当日午後二時か午後三時ころ石原利一に対して『林酒店でぶどう酒を購入し、これを〓雄方居宅に届けてもらいたい。』と依頼した。」との供述部分と合致し、〓雄の右供述の存在及びその信用性は本件確定判決で判断済みである。

(二) コヒデ供述

別表第一の42のうち「本件ぶどう酒が〓雄方居宅の表玄関上がり口の小縁に二時間もの間置かれてあった。」とのコヒデの供述部分は、右供述が他人からの誘導に基づくものであることと右供述部分の前後におけるコヒデの発言との脈絡とコヒデの検察官に対する36・4・18付供述調書(本件確定記録一二九六丁以下)の中での「本件ぶどう酒が〓雄方居宅の表玄関上がり口の小縁に運び込まれたのは、フミ子が稲森民と共に同女の母稲森ゆうを送るため外出したのちフミ子が〓雄方居宅に戻ってきてからのことである。」という供述部分と稲森民及び稲森ゆうの各供述によればフミ子が右のとおり〓雄方居宅に戻ったのは午後四時四五分であったと認められることとコヒデが明治三三年生まれの女性であることなどとにかんがみるならば、質問の意味を理解せずに不用意に行われた供述で信用性が全くない(無意識になされた真実の暴露には決して当たらない。)と判断される。

(三) 保健所資料・三重県警資料

別表第一の46のうち「石原利一が〓雄の命により林酒店から本件ぶどう酒を購入したのは本件事件発生の当日午後二時過ぎのことであった。」との上野保健所長の報告部分と別表第四の5のうち「石原利一が〓雄方居宅の前でフミ子に本件ぶどう酒を渡したのは本件事件発生の当日午後二時半ころであった。」との三重県警察本部の報告部分とは、この各報告の根拠となる資料が摘示も添付もされていない点にかんがみて、証拠価値が全くない(単なる伝聞に基づく主観的憶測である。)といわなければならない。

(四) 井岡供述

別表第四の7と同8との中井岡供述部分のうちの前記〓雄方便所への行き帰りにおける本件ぶどう酒の有無及びフミ子の行動に関する供述部分は、前者については井岡自身、別表第二の15において、当初便所に行っての帰りに本件ぶどう酒に気付いた旨証言していたのが、反対尋問で、便所への行き帰りのいずれのときか覚えていない旨証言を訂正しており、後者については、別表第二の15においては一言も触れられなかったのに、同15の供述の時点からでさえ一年以上も経過したのち、裁判所外で、かかる供述が突然なされるに至った経緯や井岡がかかるフミ子の行動を思い出すに至った契機が全く不明であって、別表第二の15に照らし、いずれも信用出来ない。

(五) 結語

したがって、請求人が援用する前掲各証拠は、本件旧証拠のうち、本件ぶどう酒が石原利一からフミ子に渡されたのは本件事件発生当日の午後五時三分ころであったという点に関するものの証明力を少しも減殺していないといわざるを得ない。

なお、別表第三の2と同3とは本件旧証拠となんら矛盾抵触していないし、また、本件ぶどう酒が石原利一からフミ子に渡されたのは本件事件発生当日フミ子が稲森ゆうを送って行ってから〓雄方居宅に戻ったのちのことであるとの本件確定判決の認定を左右するものではない。

その他、別表第一の56の新聞記事をはじめ、本件新証拠のすべてを併せて検討してみても、本件確定判決中の右認定はこれを動かすことができず、この点に関する本件旧証拠の証明力を低減させ得る資料は見当たらない。

(六) 付言

最後に付言するに、請求人は、本件ぶどう酒の〓雄方への到着時刻に関する石原利一らの捜査官に対する各供述が特定の日時以降一斉に変動していることについて捜査官側の操作があったのではないかという点を強力に主張しているが、この点については、本件被告事件において当初から争点とされていたし、本件確定判決も当然、この点を念頭に置いて判断を進めていたものであり、しかも、別表第一から同第四までの各証拠によっても、前記のとおり、この点に関する本件旧証拠の証明力を低減させ得るあらたな証拠となるべきものは何ら認められず、他に、この点についての資料は何も当裁判所に提出されていないから、右主張は失当である。

2  一〇分間問題

請求人は、「請求人が、〓雄方居宅表玄関上がり口小縁に置いてあった本件ぶどう酒を取り上げ、これを携えて本件公民館に赴き、これを本件公民館内に運び込み、それ以来本件公民館内にいたということは、本件確定判決の認定判示のとおりであるけれども、請求人が右のとおり本件公民館内に入ったときから本件事件発生のときまでの間に本件公民館内に請求人のほかには誰もいなくなったことは全くない、すなわち、請求人が本件公民館内に右のとおり入ったとき以後は常に誰かが本件公民館内にいたのであり、このことは別表第一の22と同52と別表第二の13から16までと同18から20までと別表第三の1から4までとの各証拠によって明らかで、したがって、請求人が本件公民館内で本件ぶどう酒の開栓と本件ぶどう酒への本件農薬の混入とをしたというようなことはあり得ない。」と主張する。

(一) 新矢供述

別表第二の14のうち、「新矢了が本件事件発生の当日、本件公民館における(ただし、屋外での)電気工事の途中で本件公民館の玄関の中に入り、右玄関の板の間に続いている二畳間の中の碍子を取り、これを持って屋外に出たことがあるが、このように本件公民館内に入ったのは、請求人と坂峰とが本件公民館内に入ってから、坂峰が本件公民館から出て行ったときよりも後(その後坂峰が再び本件公民館内に入って行ったときよりも前)である。」旨の供述部分は、かかる供述がなされるに至った経緯やかかる供述の内容、特に、新矢了の以上のような行動と請求人や坂峰の本件公民館への出入りとの時間的関係を新矢了が思い出した契機が不明であることと、当審で検察官から提出された新矢了の司法警察員に対する供述調書二通(右供述部分と矛盾する供述内容を包含するもの)とに照らして全く信用できず、また、別表第二の14のうち「右電気工事をしている最中、まず請求人が、続いて坂峰が本件公民館内に入って行ったし、工事終了後、新矢了は本件公民館の前の坂の下で石原房子が誰かと話をしているのを見掛けたことがある。」という供述部分は、「本件事件発生の当日誰もいない本件公民館の中に本件ぶどう酒を持って入って行った請求人の後に続いて坂峰が本件公民館内に入り、その後坂峰は〓雄方居宅に戻り、約一〇分後再び本件公民館内に入ってきたのであって、この約一〇分間(以下「本件一〇分間」という。)の間は請求人がたったひとりで本件公民館内にいた。」旨の本件確定判決の認定判示の根拠とされている本件旧証拠や別表第二の13及び同16の各証拠と符合し、この点についての本件旧証拠の証明力を高めこそすれ、これを減殺するものではない。

(二) 井岡供述

別表第二の15中「井岡が本件事件発生の当日初めて〓雄方居宅に入って行く直前に〓雄方居宅の西南の田圃で請求人が雑草を抜いていたが、それから井岡が〓雄方居宅内に入ったところ、そこには誰もいなかった。」旨の供述部分は、当裁判所において取り調べられたその余の各証拠と矛盾しているが故に全く信用できないし、別表第二の15中「本件事件発生の当日再び井岡が〓雄方居宅に赴き、その後坂峰が〓雄方居宅に顔を出してから坂峰が〓雄方居宅より出掛けたのち、井岡が右居宅の屋外便所に入って小用を足している際、付近の道路で請求人が、視線を〓雄方居宅表玄関上がり口小縁の方に向けながら、牛を曳いて歩いていたが、右小用ののちに請求人が〓雄方居宅に来て、そこから本件ぶどう酒を持って出て行き、その後間もなく坂峰が〓雄方居宅に雑巾や柴を取りに来た。」旨の供述部分は、井岡がこのように小用を足したことや請求人が〓雄方居宅から本件ぶどう酒を運び出す直前に仔牛を曳きながら〓雄方居宅付近を歩いていたことは本件旧証拠によって明らかであるけれども、その余の点に関する限り、かかる供述がなされるに至った経緯やかかる供述の内容、特に、請求人の視線の問題と請求人や坂峰の〓雄方居宅への出入りの時間的関係とを井岡が思い出した契機が不明であり、別表第二の14と同16との各証拠と矛盾していることからも信用できないし、他方、別表第二の15中「井岡が本件事件発生当日初めて〓雄方居宅に赴く途中で、請求人方居宅の付近の路上に林檎の移動販売車がいた。」旨の供述部分や「井岡は請求人が本件ぶどう酒を持って〓雄方居宅から前庭に出てくるのを見た。」旨の供述部分は、これが信用できるものであっても、本件旧証拠の証明力に影響を与え得るものとは考えられない。

(三) 請求人供述

別表第一の22と同52と別表第二の18から20までとの各証拠のうち、「請求人が本件ぶどう酒を携えて〓雄方居宅から本件公民館に赴く途中、本件公民館への登り坂を登り詰めた時点で、宮坂栄が請求人の方に歩いてくるのに出会った。」旨の供述部分は、これを裏付けるに足りる証拠が全く見当たらないから、到底信用できず、その余の部分(本件新証拠に当たる部分に限ることは当然のことである。)は本件一〇分間の存否には関係がない。

(四) 検証

別表第三の1から4までの証拠中、検証の対象となっている具体的場所や検証の目的等に照らして検討するならば、本件確定判決が当然判断の前提とした本件旧証拠中の検証調書等と対比してその内容において実質的な差異を認めることができるのは、右2の検証調書のうち武田医院、宮西秋子方、林酒店の各位置とその距離関係を検証する部分と右3の検証調書と右4の検証調書のうち石切り場登り口から県道を進行して浜田耕作方横の山道に至るまでの距離と同人方横の山道から請求人方玄関までの徒歩所要時間とを検証する部分であるが、そのうち、本件事件発生の当日請求人が石切り作業をしていた地点から請求人方居宅に至るまでの道のり及び徒歩所用時間に関する部分は本件旧証拠とも格別矛盾しないし、その他の部分も、本件一〇分間の存在についての本件旧証拠の証明力に影響を与え得るものとは考えられない。

(五) 結語

請求人が本件一〇分間の存否に関して前述のとおり援用しているその余の各証拠は、本件新証拠の中に含まれ、かつ、本件旧証拠と内容において実質的な差異を認めることができる部分にしても、すべて、本件一〇分間の存否とは関連性がないか、又は、本件一〇分間の存否の判断の根拠となっている本件旧証拠と矛盾しないから、本件旧証拠中本件一〇分間の存在の根拠となっている証拠の証明力に影響をもたらし得るものではない。

(六) 付言

最後に付け加えておくに、請求人は、「新矢了が本件事件発生の当日仕事先から同人方居宅に戻ったのは午後五時三〇分ころであり、その後同人は前記電気工事のため本件公民館に赴いたのであるから、本件ぶどう酒を携えて右公民館内に入った請求人の後に続いて坂峰が右公民館内に入ったのは午後五時一五分のことであったという坂峰の供述は信用できない。」と強調するけれども、新矢了が本件事件発生の当日仕事先から同人方居宅に戻ったのが午後五時三〇分ころであったということは、本件旧証拠(新矢了の検察官に対する36・4・11付供述調書・本件確定記録六七二丁以下)において既に現れていることがらであるのみならず、新矢了は当裁判所において証人として尋問された際、右供述を改め、「本件事件発生の当日午後五時から開始される予定であった三奈の会の総会の開会前に電気工事を完了させておこうと考え、仕事先から早めに出発して自宅には寄らないでそのまま本件公民館に直行した。」旨証言し、右証言は坂峰の検察官に対する36・4・7付供述調書(本件確定記録五〇〇丁以下)における「坂峰が、本件ぶどう酒を携えた請求人の後から続いて、本件公民館内に入ったのは午後五時一八分ころであった。」旨の供述部分とも符合するから、坂峰の供述の証明力を高めこそすれ、これを減殺し得るものではないというべきである。

3  ニッカリンTの準備・搬入

本件確定判決は、「請求人が、昭和三六年三月二七日夜請求人方居宅風呂場の炊き口の前から請求人方精米小屋に通ずる通路の付近で、長さ約三〇センチメートル、直径約二センチメートルの節付きの女竹一本を節の約六センチメートル上方の個所と節の約一センチメートル下方の個所とで切断して、長さ約七センチメートル、深さ約六センチメートル、直径約二センチメートルの竹筒一個を作成したうえ、一〇〇立方センチメートル入りの瓶に入っているニッカリンT(本件農薬)を右竹筒内に竹筒の容量の三分の二程度まで注入し、右竹筒の上部に破った新聞紙で栓を施し、これを右風呂場の炊き口の前の土間の棚の上のボール箱の中に入れ、同月二八日午後五時二〇分ころ右ボール箱から右竹筒を取り出し、これを請求人が当日着用していたジャンパーのポケットの中に忍ばせ、そのまま〓雄方居宅に赴き、右居宅玄関上がり口小縁から本件ぶどう酒と瓶詰め日本酒二本とを取り上げ、この三本をひとりで抱えて本件公民館内に搬入し、この三本を本件公民館内のいろりの間の流しの前の板敷個所に置いたのち、本件一〇分間内に、本件ぶどう酒を開栓したうえ、右竹筒を取り出してその中のニッカリンTを本件ぶどう酒に混入した。」と認定判示しているとろ、請求人は、「本件旧証拠中、右認定に沿うものは請求人の捜査官に対する供述調書だけしかなく、そもそも、本件確定判決認定の日時(夜間)・場所において家人や来訪客に察知されることなく、右認定の作業(竹筒を作成し、これに本件農薬を注入して栓をする作業)を行うことは不可能であり、次に、本件確定判決認定のような状況で右竹筒を移動するならば、右竹筒内の本件農薬は、本件ぶどう酒への混入がなされない間に、その大部分がこぼれてしまい、その残量だけでは本件事件(五名の死亡と一二名の中毒と)は惹起され得ないし、最後に、本件確定判決は『右竹筒は本件農薬を本件ぶどう酒に混入したのち、請求人が本件公民館内のいろりで燃やしたという請求人の自白がすべて信憑性がないというわけにはいかない。』と説示しているが、本件事件発生後本件公民館内のいろりの中から採取された炭化物や灰からは燐が検出されてはいないし、また、請求人が当日着用していたジャンパーのポケットの部分からも燐が検出されていないから、本件確定判決認定判示のような前記事実があったという点は極めて疑わしく、このことは、別表第一の50と同58と同62と別表第二の5から7までと同18から20までと同22と別表第四の2と同3と同4との各証拠によって明らかである。」と主張する。

(一) 準備作業

そこで、右竹筒作成とこれへの本件農薬注入との作業の点について検討するに、本件旧証拠中には、請求人方居宅から本件事件発生後竹鋸一丁や女竹数本が発見されたことと本件事件発生当時請求人方居宅で居住していた請求人一家(請求人夫婦、その子及び請求人の両親)は茶樹消毒用の農薬としてニッカリンTを購入していたことと請求人方居宅内外の状況とに関する各証拠とのほかには、請求人が本件確定判決認定判示のとおりの作業を請求人方居宅でしたことに関する資料は、請求人の捜査官に対する供述調書や請求人作成の図面以外にはないところ、別表第一の50の中には請求人が捜査官に供述したような方法で右作業を行うことができるか否かについての実験の結果が記載されているけれども、右実験は、女竹の固定方法や女竹切断の際の姿勢や方法、更には、竹筒への注入の際の現場の明るさなどの点で請求人が右供述で述べている作業方法と一致していないところがあると判断されるのみならず、右実験の結果によっても、請求人が右供述で述べている右作業を本件確定判決認定の日時場所で家人や来訪客に察知されずに行い得ないのではあるまいかという点に関する合理的疑惑は、いまだこれを抱くことができない。しかも、右作業現場及びその周辺の照明状態に関する本件旧証拠中の検証調書(本件確定記録六九一三丁以下)等によると、右作業現場では右作業を行うのに支障のない程度の明るさであったことが明らかであり、本件旧証拠の中の司法警察員作成の36・4・10付実況見分調書添付写真10(本件確定記録二四六丁)によると、前記竹鋸の歯に竹の切り屑が付着していることが認められるのである。

(二) 運搬(請求人方~公民館)

次に、本件農薬在中の竹筒の運搬(移動)の点について検討するに、請求人は、捜査官に対する供述や本件被告事件の公判期日における供述では、「日本酒一本を左脇に挟み、他の日本酒一本を左手で持ち、本件ぶどう酒を右手で持って〓雄方居宅から本件公民館に赴いた。」とか「片方の脇で二本を抱え、残りの一本を片手で持って〓雄方居宅から本件公民館に赴いたと思う。」とか供述していたにもかかわらず、当裁判所に対しては「両脇に一本ずつ抱え、残り一本を両手で横に支えながら〓雄方居宅から本件公民館に赴いた。」と供述しているところ、このような供述の変更が何故生じたのかという根拠は全く不明であり、請求人の当裁判所に対する供述は信用できない。

のみならず、前記別表第一の50に記載されている歩行実験、すなわち、赤インク水溶液在中の竹筒を上着のポケットに入れ、左脇に一升瓶一本を抱え、両手に一本ずつ一升瓶を持つという状態で〓雄方居宅から本件公民館まで歩行したときの右水溶液の減少量の実験の結果と別表第一の58(以下「野村鑑定」という。)、同62及び別表第二の22(以下「野村証言」という。)に現れたテップ剤の竹筒への浸透実験、すなわち、竹筒五本にその内容積の三分の二の量のテップ剤を注入したうえ、丸めた新聞紙で右竹筒五本に栓を施し、二一時間静置した場合の右テップ剤の右竹筒への浸透量の実験の結果とについては、歩行の仕方や竹筒の乾燥の度合いや新聞紙の栓の仕方等それら各実験の前提をなす条件が請求人の捜査官に対する供述のとおりの条件と正確に一致するか否かについて相当疑問があり、にわかに信用できないうえ、この点は暫くおくとしても、前者の実験では、水溶液の減少量の最大値が〇・六立方センチメートルにとどまっていること、後者の実験においては、テップ剤の注入量が最大で五・五四グラム、最小で四・六九グラムであったのに対して竹筒への付着・浸透量は最大で〇・五四グラム、最少で〇・三三グラム(もっとも、新聞紙栓への付着・浸透量は最大で一・八八グラム、最少で〇・三四グラム)にとどまっていることにかんがみると、本件確定判決認定の竹筒内のニッカリンTの分量に比し右減少量ないし付着・浸透量は相当少ないというべきであり、しかも、請求人は本件旧証拠中で捜査官に対し、「請求人方居宅で新聞紙で栓をした本件農薬在中の竹筒を新聞紙で包み、これをポケット内に立てるようにして入れ、その状態で〓雄方居宅を経て本件公民館に赴き、本件公民館内でこれを取り出した際、右竹筒の新聞紙の栓に本件農薬が染み込んではいなかった。」旨供述していたのであるから、右供述に徴するならば、前記ジャンパーのポケットの部分から燐が検出されなかったということも、あえて異とするに足りず、右供述の信用性は、前記野村鑑定、野村証言及び別表第一の62等の各証拠によって何ら減殺されていないと判断される。

(三) 竹筒処分

最後に、前記竹筒の処分の点について検討してみるに、別表第四の2と同3との各証拠は、昭和四二年三月国道一号線鈴鹿トンネル内で発生した自動車火災事故の際エキゾースト・マニホールドに付着していた物の分光分析にかかわるものであることが別表第二の5から7までの各証拠によって明らかであるから、本件事件について全く無関係の資料であるし、別表第二の5から7までのうち、本件公民館内のいろりの中の炭化物に付着していた灰から燐が検出されなかった旨の供述は、本件旧証拠中の萩野健児他二名の共同作成にかかる36・7・17付鑑定書(本件確定記録一四五一丁以下)において、右炭化物の外観検査の個所で灰分の付着についての記載がなく、黒色炭化物若干量と記載されているだけにすぎないことと、右鑑定書添付の鑑定資料18の写真によれば、右炭化物には灰分が付着しているとは思われないことと、本件被告事件における証人萩野健児の証言(本件確定記録七二四七丁以下)によれば、同証人が鑑定をした対象物は灰にまではまだなっておらず、炭化しただけにとどまる物質であったと認められることと、別表第四の1の中にも右炭化物に灰が付着していた旨の記載がないこととに照らすと、到底信用するに値しない。

なお、付言するに、確かに請求人は、捜査官に対し「本件農薬を入れて本件公民館に持参した竹筒は、請求人が本件公民館内のいろりで燃やしてしまった。」と供述しているにもかかわらず、本件旧証拠や当裁判所において取り調べられた各証拠の中には、本件公民館内のいろりの中の灰や右いろりの中の燃え滓から有機燐(有機化合物から出た燐)が検出されたという資料は全く存在しないが(もっとも、前記炭化物から微少ではあるが、燐の元素が検出されたことは、本件旧証拠中の証人萩野健児の証言―本件確定記録四〇〇八丁以下―及び別表第二の7から明らかである。)、右いろりでは、総会の始まる前から柴や薪が請求人によりかなり勢いよく燃やされ、かつ、その後も右いろりの中でかなり長時間火が燃え続け、その間、この火が火鉢に分け入れられたりして、右いろりの中がかきまわされていることが本件旧証拠、殊に、石原房子の検察官に対する36・4・8付供述調書(本件確定記録五五三丁以下)などによって明らかであり、更に、請求人の右供述は昭和三六年四月二日に初めて行われたが、それまでの間に右いろりの中の燃え滓や灰の一部が本件公民館の裏の畑の中に捨てられていたことが本件旧証拠によって明らかであるから、右いろりの中の灰や燃え滓から燐が検出されたという資料が全く見当たらないことをもって、請求人の右供述の信用性を左右することはできないというべきである。

(四) 結語

したがって、請求人が援用する前掲各証拠は、これにより、本件旧証拠のうち、本件公民館への本件農薬搬入に関するものの証明力を少しも減殺していないといわざるを得ない。

4  犯行の動機

本性確定判決は、「請求人が本件ぶどう酒に本件農薬を混入し、その結果本件事件を惹起したものである。」と認定判示し、この犯行(以下「本件犯行」という。)の動機として、「罪となるべき事実」中で、「請求人はその妻チエ子があるのに三奈の会の女性会員ヤス子と情交関係を結んでいたところ、このことが漸次居村部落民の噂となり、更に、昭和三五年一〇月二〇日ころの夜間にヤス子方居宅の付近の竹藪で請求人とヤス子とが逢引をした直後に、請求人が右竹藪の付近の道路でヤス子と二人づれで歩いているのを目撃したチエ子の不信を買い、爾来、請求人とチエ子との夫婦仲が悪くなり、遂にはチエ子が請求人との離別を考えるに至り、他方、ヤス子もチエ子から請求人とヤス子との仲の件で責められたのみならず、居村部落の婦人達から厭味をいわれ、そのため、居村部落民といさかいを起こしていたところ、請求人は、以上の三角関係の処置に窮し、ついに、チエ子とヤス子とを殺して右三角関係を一挙に清算しようと考えるに至り、昭和三六年三月二八日開催の三奈の会年次総会終了後の懇親会に出席する女性会員に提供されるぶどう酒にニッカリンTを混入すればチエ子やヤス子がそれを飲んで死亡するであろうし、その場合、その他の女性会員もそれを飲んで死亡するかも知れないけれども、請求人が右混入をしたということの発覚を防ぐためには、それもやむを得ないと考えるに至り、以上のことが本件犯行の動機であった。」という認定判示をしているが、請求人は、「本件事件発生前はずっと請求人とチエ子とヤス子との仲は良好であって、本件確定判決認定判示のような三角関係が存在していたとしても、請求人が右三角関係の清算を図らなければならないというような状況は全くなく、また、請求人夫婦とヤス子との居村部落では、本件事件発生以前はずっと、性の娯楽化や右三角関係と同じような関係が多数存在し、しかも、これが暗黙のうちに許容されていたのであり、したがって、請求人とチエ子とヤス子との右三角関係の存在ないしその清算が本件事件の動機たり得るとは考えられないのみならず、精神障害者でもない請求人が右三角関係の清算のほかには確固たる動機もないのに三奈の会懇親会に出席する女性会員全員を対象とする大量殺人をしようと企てることもあり得ないから、結局のところ、請求人には本件確定判決が認定判示しているような殺意を、それが未必の殺意であるにせよ、抱くに足る動機が全くなく、したがって、請求人がかかる殺意を抱いたということもまた、あり得ない。」と主張し、「右主張は別表第一の7と同30から32までと別表第四の5とによって裏付けられるに至った。」という。

(一) 山田供述

別表第一の30のうち、「チエ子が山田清松に対して『チエ子には身寄りがないので相談に乗ってもらいたいが、チエ子は家を出て上野市方面で働いて人生のまき直しをしたいと考えているから、仲居か女中でもよいから、どこかに就職先を世話してくれないか。』と申し出たことがあったが、山田清松の見たところではチエ子がひとりで悩んでいる様子だった。」という山田清松の警察官に対する供述部分は、本件被告事件における証人山田清松の供述(本件確定記録六五八三丁以下)と合致し、新規性のないことが既に明らかであるのみならず、請求人とチエ子との仲が請求人主張のように良好であったとの証左たり得ず、むしろ、その仲が円満ではなかったことを窺わせるものである。

(二) 中井供述

別表第一の30のうち、「中井米男は請求人と共に薦原農協主催の名古屋方面視察旅行に参加したが、その帰途、請求人は二人分の土産物を持っており、これを見た中井米男が『やっぱり、勝さん(請求人のこと)は違うな。』と言った。」という中井米男の警察官に対する供述部分は、本件確定判決が本件犯行の動機を認定判示した根拠の中で掲げている「請求人は昭和三六年三月一五日ころ団体旅行で名古屋の飼料工場を見学した際、土産として、チエ子にストッキングとコンパクトとを、ヤス子にこけし人形一個を、それぞれ買い求めて、これらを与えた。」という事実と符合し、本件確定判決は、この事実を前提として、本件犯行の動機についての判断を進めているのである。

(三) 聞き込み・旅行

別表第一の31のうち、「薦原農協主催の昭和三六年三月一七日有馬温泉招待日帰り旅行にチエ子と共に参加した名張市婦人会連絡協議会薦原地区婦人会役員及び右旅行に随行した右農協役職員から警察官が右旅行当日のチエ子の言動や顔面の傷痕について聞き込みをしたが、本件犯行の動機となるべきことは右聞き込みによって得られなかった。」旨の記載は、本件確定判決が本件犯行の動機を認定した根拠の中で掲げている「請求人は、昭和三六年三月一七日ころチエ子が婦人会の人達と有馬温泉に団体旅行に出掛けた際、チエ子に五〇〇円の小遣いを与え、チエ子は右旅行の際被告人のために土産としてタバコ入れケースを買ってきた。」という事実を裏付けるものであり、本件確定判決は、右事実を前提として、本件犯行の動機について判断を進めているのである。

(四) 聞き込み・夫婦仲

別表第一の32のうち、「チエ子と平素から交際していた小学校同級生や知人並びにチエ子の母の友人等から事情聴取をしたけれども請求人の夫婦仲や請求人とヤス子との関係についてのトラブルを耳にした者はなかった。」という警察官の報告部分は、これだけで前記三角関係をめぐるトラブルの存否についての本件確定判決の認定を左右するものではなく、足立敏子の本件被告事件における証言及び検察官に対する40・3・20付供述調書(本件確定記録六八三〇丁以下、六八九三丁以下)中の「足立敏子はチエ子と小学校の同級生で、昭和三六年三月中にたまたまチエ子と会った際、チエ子が沈んでいる様子だったので『どうしたの。』とただしたところ、『ちょっと請求人と喧嘩をした。』と答えた。」旨の供述部分の信用性を動かし得るものではない。

(五) 居村部落状況

別表第四の5によれば、三重県名張市〓尾と奈良県山辺郡山添村〓尾とは道路一本隔てただけの隣接地区であり、この地区内の二六戸一四〇名が一個の大家族のように血縁でつながっていたり、隣人として親交を深めていたことが認められるけれども、だからといって請求人夫婦やヤス子の居村部落における性生活や三角関係が所論のようなものであったことを窺い知ることが出来るものではない。

(六) 盥おとし

別表第一の7のうち、「名張川沿いの部落、すなわち、請求人夫婦やヤス子の居村部落には昔から伝わる『盥おとし』という話があり、名張川沿いの村々では妻や夫があるのに、無造作に、別の夫や別の妻との肉体関係を結び、性というものを暗黙のうちに聚落という共同体で処理しているかのような観がある。」旨の女性作家の文章があり、また、別表第二の20中で請求人は「〓尾部落には多数の三角関係があった。」と供述しており(ただし、請求人の右供述は、本件被告事件における請求人の供述、すなわち、本件旧証拠との間で実質的な差異が全くない。)、更には、本件旧証拠(例えば、坂峰の検察官に対する36・4・7付供述調書・本件確定記録五〇〇丁以下、神谷すゞ子の検察官に対する36・4・8付供述調書・本件確定記録五九三丁以下)の中にも、「〓尾部落内には、請求人の三角関係と同様な関係が他にもあった。」旨の供述があるけれども、以上の各証拠によっても、請求人夫婦やヤス子の居村部落内の性風俗や性に対する意識に関する本件旧証拠、すなわち、今井艶子の検察官に対する36・5・8付供述調書(本件確定記録八〇三丁以下)、中井文枝の検察官に対する36・4・12付供述調書(本件確定記録八五二丁以下)、高橋清の検察官に対する36・4・11付供述調書(本件確定記録九八三丁以下)、平井藤太郎の検察官に対する36・4・13付供述調書(本件確定記録九九六丁以下)及び神谷光一の司法警察員に対する36・4・6付供述調書(本件確定記録一三一〇丁以下)等の信用性は全く左右され得ず、これらの各調書によれば、請求人夫婦とヤス子との関係のほかにも三角関係があったということは単なる風評にとどまり、請求人夫婦やヤス子の居村部落内の住民は、男女関係に決して寛容ではなかったことが明らかである。

(七) 結語

他に本件確定判決の本件犯行の動機についての前記認定の基礎となった本件旧証拠の信用性を動かし得るだけのあらたな資料は請求人が当裁判所に提出した証拠の中には見当たらないから、請求人の前記主張は失当である。

(八) 付言

更に、本件確定判決が認定判示したような動機があったとしても、それだけのことで、本件犯行のような大量殺人を請求人が敢行したといえるか否かの点について付言するに、本件旧証拠、例えば、中井やゑの検察官に対する36・4・16付供述調書(本件確定記録七四九丁以下)、広岡操の検察官に対する36・4・15付供述調書(同八一〇丁以下)、同人の検察官に対する36・5・8付供述調書(同八二九丁以下)、伊東美年子の検察官に対する36・4・23付供述調書(同九四〇丁以下)、神谷光一の司法巡査に対する36・4・4付供述調書(同一三〇五丁以下)、同人の司法警察員に対する36・4・6付供述調書(同一三一〇丁以下)、神谷逸夫の司法警察員に対する36・4・4付供述調書(同二〇五六丁以下)及び釜本正憲の検察官に対する36・5・8付供述調書(同三五一四丁以下)その他によると、本件事件の際、本件ぶどう酒を飲んだ三奈の会女性会員が苦悶し、その家族や三奈の会男性会員の介抱を受けている最中、請求人のみが苦悶する妻チエ子の傍らで茫然とうつむいて座っているのみで何ら動かなかったことが明らかであり、更に、検察官から当裁判所に提出された証拠中、名古屋高等検察庁検察事務官作成の61・9・25付報告書に添付されている新聞記事(36・4・3付毎日新聞夕刊、36・4・4付朝日新聞朝刊及び36・4・4付伊勢新聞朝刊)によると、請求人は昭和三六年四月三日午後名張警察署当直室で行われた記者会見の際の報道陣代表二名との一問一答で、「現在の心境は。」との問いに対し、「ちょっとした気持からこんな大事件を起こしてしまって、何とお詫びしていいか分からない。」と答え、「どうしてこんなことになったのか。」との問いに対し、「こんなことになるとは思わなかった。」と答え、更に、「本件犯行が分からずに済むと思っていたのか。」との問いに、「分からんとは思わなかった。軽い気持でやった。」と答えたことが認められ(請求人の当裁判所に対する供述中右認定に反する部分は信用できない。)、以上の事実と本件旧証拠中請求人の検察官に対する36・4・23付供述調書(本件確定記録二四六九丁)中における「請求人は、本件事件発生後、苦悶しているチエ子を初めは介抱したが、介抱をやめて茫然としていたことがあり、これはいかんことをしたと思って茫然としていた。」旨の供述部分とによると、請求人は本件事件発生の当日開催される三奈の会年次総会後の懇親会に出席する女性会員の全員を死亡させようという大量殺人の意図を確定的に抱いていたものではなく、右女性会員を巻き込むことになるかも知れないが、それでも、右女性会員に提供される本件ぶどう酒に本件農薬を混入し、もって、チエ子とヤス子とを殺して右二名と請求人との間の三角関係を清算しようという浅慮の念の下に本件犯行に及んだものであり、これにより生じた本件事件の重大な結果に恐れおののき、なす術もなく茫然自失してしまったものと推認され、右推認は経験則にも合致し、犯罪心理学の学理とも矛盾しないということができるから、本件確定判決の認定判示のとおりの動機の下で本件犯行が行われたことに疑問の余地はない。

5  四つ足替栓の装着等

本件確定判決は、「本件ぶどう酒の瓶には三線ポートワイン四つ足替栓(津地方裁判所昭和三六年押第四九号の一九・以下「本件替栓」という。)と同耳付冠頭(津地方裁判所昭和三六年押第四九号の二・以下「本件冠頭」という。)とが一組となって装着されていたものであり、請求人は、本件一〇分間内に本件公民館内のいろりのそばの板敷の付近で、まず、本件冠頭を火挟みで開け、更に本件替栓を歯で噛んで開栓したのち、持参の竹筒内の本件農薬を本件ぶどう酒に混入し、本件替栓を本件ぶどう酒の瓶に嵌め込んだ。」と認定判示し、請求人は、「本件ぶどう酒と同一年月日に同一醸造所すなわち西川洋酒醸造所で打栓されたぶどう酒二本(三線ポートワインの瓶二本・津地方裁判所昭和三六年押第四九号の一四及び一七)に装着されている三線ポートワイン四つ足替栓二個と三線ポートワイン王冠(耳付冠頭と四つ足替栓の複式のもの)(津地方裁判所昭和三六年押第四九号の四二・以下「証四二号替栓」という。)を本件替栓と比較してみると、本件替栓は、一見して相当古いものであることが明らかであり、かつ、比較的薄いブリキで作られ、内側に真鍮メッキが施されているのに、証四二号替栓や前記二個の四つ足替栓は一見して相当新しいものであることが明らかであり、かつ、比較的厚いブリキで作られた内側には真鍮メッキが施されていないし、更に、別表第一の6によれば、西川洋酒醸造所で同一年月日に打栓されたぶどう酒の瓶に装着された四つ足替栓や王冠には新品と旧品とが混在していたり、素材ブリキの厚さや真鍮メッキ加工の有無などの点で差異のあるものが混在していることはなかったことが明らかであって、したがって、本件替栓が本件ぶどう酒の瓶に装着されていたものではないといわざるを得ないし、また、本件冠頭は本件公民館内のいろりの間の開き戸付き押入れの奥にあるのを警察官が発見したものであるが、別表第一の6と同35から39までとの各証拠によると、本件ぶどう酒の瓶に装着されていた耳付冠頭と四つ足替栓とは手で容易に開栓することができる構造のものであり、もし、冠頭を火挟みや栓抜きで開けるとすれば、そのときには右替栓も冠頭に付着して本件ぶどう酒の瓶から外れてしまうはずであり、いずれにしても冠頭が開栓場所から離れた右押入れの奥に移動したことはないはずであるのみならず、別表第一の68によると、本件事件当時、西川洋酒醸造所では三線ポートワインに封かん紙を接着するのにパルプ糊を用いていたから、もし、火挟みで前記耳付冠頭を開けたとすれば、右封かん紙がこの耳付冠頭の耳により切断されるか、又は、きれいに二分されるはずであるのに、本件旧証拠中の封かん紙(津地方裁判所昭和三六年押第四九号の四及び五)は一見して複雑な形に裂けているうえ、本件旧証拠中の石原利一の捜査官に対する供述調書によると、本件ぶどう酒が三奈の会の女性会員の湯呑みに注がれる時点の直前までは、本件ぶどう酒の瓶に耳付冠頭が装着されていたことが明らかであるし、更に、耳付冠頭がまず火挟みで開けられた後にもなお四つ足替栓が本件ぶどう酒の瓶に付着残存していたとしても、火挟みを用いずに歯で噛んで開栓するというような方法で替栓を本件ぶどう酒の瓶から外すというような動作を本件犯行の犯人がとったということは、替栓に証拠の歯型や唾液が付着して本件犯行の犯人が判明してしまうということからも、本件犯行の犯人の心理にかんがみれば、通常考えられず、以上いずれの点から見ても、本件確定判決認定判示の方法で本件ぶどう酒の瓶が開栓されたというようなことはあり得ないはずである。」という。

(一) 総説

しかしながら、本件替栓等が本件ぶどう酒の瓶に装着されていたか否かについては、本件確定判決が、「本件旧証拠中、本件事件当時西川洋酒醸造所のぶどう酒瓶詰作業の監督者であった斉藤光雄の証言(本件確定記録五四七五丁以下)及び本件事件当時同醸造所に替栓等を納めていた大正コルク工業株式会社の取引担当者梅本稔の証言(同五五二五丁以下)に徴して、本件替栓と前記ぶどう酒二本(三線ポートワインの瓶二本・津地方裁判所昭和三六年押第四九号の一四及び一七)に装着されていた替栓と証四二号替栓との内側の色の違いやメッキの有無、その厚さの違いとかをもって、直ちに、本件替栓が本件ぶどう酒の瓶に装着されていた四つ足替栓でなかったというわけにはいかない。」と判断しており、別表第一の6のうち、一度に仕入れる二重栓(四つ足替栓と耳付冠頭とが一組になったもの)の数量が一万組前後であったこととか、二重栓は五〇〇組ずつ箱に入れられていたこととかは、打栓現場の経験や売上帳に基づき本件事件当時までに注文により納入された個数や納入の形態について供述する前記斉藤光雄と同梅本稔との各証言に照らして信用できない。結局、別表第一の6の証拠は、本件替栓等が本件ぶどう酒の瓶に装着されていたことに関する本件旧証拠の証明力を左右せず、本件新証拠中には右証明力に影響を与え得るものは他にない。

(二) 開栓方法

別表第一の6及び同35から39までの各証拠によれば、本件ぶどう酒の瓶に装着されていた本件替栓と本件冠頭とは栓抜き器具等を用いなくても手で開けることが可能であることが明らかであるが、右各証拠をまたなくても、本件ぶどう酒の瓶に装着された本件替栓が、火挟みで本件冠頭を上方に突き上げる際、火挟みの当て方の如何、すなわち、火挟みを本件冠頭の耳部で本件替栓の足のある部分に当てるか、同様耳部で足のない部分に当てるか、本件冠頭の耳部以外の部分で本件替栓の足のある部分に当てるか、同様耳部以外の部分で足のない部分に当てるかにより、あるいは打栓過程での加圧の程度如何により、本件替栓も本件冠頭と共に外れる可能性のあることは、本件旧証拠、例えば、司法警察員作成の36・5・1付実況見分調書(本件確定記録一六六六丁以下)、辻井敏文の証言(同四二五二丁以下)及び請求人の供述(同四二〇五丁以下)により認められ、また、西川善次郎の司法警察員に対する36・4・22付供述調書(本件確定記録一〇八三丁以下)によれば、本件ぶどう酒の瓶と同種の瓶に使用される二重栓は、打栓後間もないときは割合容易に開けることができるが、二、三か月経過すると四つ足替栓の内側に嵌められているコルクが膨張して瓶に密着するため、開けにくくなるが、それでも温度や陰圧の程度により多少差が生ずるという事実が認められ、本件確定判決は、以上のことを当然の前提とし、更に、本件冠頭が本件公民館内のいろりの間の開き戸付き押入れの奥にあるのを警察官が発見したこととか、請求人が本件事件当時虫歯をわずらっていたこととか、本件公民館内のいろりには火挟み等開栓の用に供することのできる器具があったこととか、歯で噛んで開けるときは歯型や唾液が付着して犯跡を残すこととなること等の諸事実をも考慮したうえ、それでもなお、本件旧証拠、殊に、本件替栓上の傷痕(この点については更に後述する。)や請求人の捜査官に対する各自白調書中の本件ぶどう酒の開栓に関する供述を措信し、これに基づき、本件事件当日に請求人が本件公民館内のいろりの間で本件ぶどう酒の瓶の本件替栓等を火挟みで開けようとしたときに、まず本件冠頭だけが外れ、その後に請求人が本件替栓を歯で噛んで開けたという事実を認定したものというべきである。したがって、別表第一の6及び同35から39までの各証拠は、本件確定判決の右認定の根拠をなしている本件旧証拠の信用性に影響を及ぼすものではないし、この点に関する請求人の前記自白調書の信用性を減ずるものでもない。

(三) 封かん紙

なお、二片に千切れた封かん紙が切断部分で複雑な形を呈していることは、別表第一の68の指摘をまつまでもなく明らかなところであり、本件確定判決は、このことを当然の前提として、本件旧証拠により前記認定をしたものと考えられるが、仮に別表第一の68のとおり本件事件当時三線ポートワインに封かん紙を接着するのにパルプ糊が用いられていたとしても、このことは本件旧証拠の信用性についての前記判断を何ら動かさない。

(四) 結語

他に本件確定判決の以上の認定の基礎をなす本件旧証拠の証明力を左右するに足りるあらたな資料は、請求人が当裁判所に提出した証拠の中には見当たらないから、請求人の前記主張は失当である。

6  四つ足替栓上の傷痕(歯型)

(一) 原判決

本件確定判決は、本件旧証拠中の科学警察研究所警察庁技官柏谷一弥ほか三名共同作成の鑑定書(本件確定記録一四九四丁以下、以下「柏谷鑑定」という。)、名古屋大学医学部教授(当時)古田莞爾作成の鑑定書(前同四五六七丁以下、以下「古田鑑定」という。)及び大阪大学医学部教授(当時)松倉豊治の作成の鑑定書(前同六〇二〇丁以下、以下「松倉鑑定」という。)は、証人柏谷一弥、同山本勝一及び同真田宗吉の各供述部分(本件確定記録三九二七丁以下)並びに証人柏谷一弥及び山本勝一の各供述部分(前同四二〇七丁以下)(以上三名の右各供述をまとめて、以下「柏谷ら証言」という。)と証人古田莞爾の供述(前同四四六七丁以下)及び鑑定人兼証人古田莞爾に対する尋問調書(前同五六二六丁以下、右二個の証拠をまとめて、以下「古田証言」という。)と鑑定人兼証人松倉豊治の供述(前同六〇八五丁以下、以下「松倉証言」という。)とに照らし、それぞれ、その鑑定方法が十分首肯でき、その結論も信用するに足りるのに対し、金沢大学医学部教授(当時)井上剛及び歯科医中田尚共同作成の鑑定書(本件確定記録四七五一丁以下、以下「井上・中田鑑定」という。)と慶応大学医学部助教授(当時)船尾忠孝作成の鑑定書(前同四八五〇丁以下、以下「船尾鑑定」という。)と岡山大学医学部教授(当時)三上芳雄作成の鑑定書(前同五七一三丁以下、以下「三上鑑定」という。)とこれらを敷衍するものとしての本件旧証拠中の証人井上剛・同中田尚に対する尋問調書及び証人船尾忠孝に対する尋問調書とはその鑑定方法等に問題があって信用できず、柏谷鑑定、古田鑑定、松倉鑑定、柏谷ら証言、古田証言及び松倉証言に徴すると、「本件替栓の表面の傷痕には、人の歯牙により付けられたものと認められるものがあり、しかも、これは請求人の歯牙によって付けられたものと認定することができる。」としたうえ、前記のように、「請求人が本件ぶどう酒の瓶に装着されていた本件替栓を歯で噛んで開けた。」と認定判示している。

(二) 請求人の主張

請求人は、「別表第一の1(以下「鈴木意見書」という。)によれば、本件替栓の傷痕は人の歯牙により形成された歯痕であるか否かさえ疑わしいうえ、鈴木意見書と別表第二の1及び同2(この二個の各証言をまとめ、以下「鈴木証言」という。)と別表第一の66(以下「土生意見書」という。)と別表第二の21(以下「土生証言」という。)とによれば、本件替栓のような王冠上に印象された歯痕の形態を三次元的に把握できない限り、歯痕からその印象者を識別することは極めて困難であり、特徴点や中心点の間を計測するという二次元的方法による歯痕形態の把握や歯痕の同一性の判定は不可能であるのに、これが可能であるとして本件替栓上の傷痕をもって請求人の歯牙によるものと同定した柏谷鑑定、古田鑑定、松倉鑑定、柏谷ら証言、古田証言及び松倉証言は、いずれも信用できないし、また、別表第一の57(以下「土生鑑定」という。)及び土生証言によれば、本件替栓と証四二号替栓との各歯痕中の条痕はいずれも一致していないことが明白になったから、この点からも、古田鑑定、松倉鑑定、古田証言及び松倉証言の信用性は完全に減殺されたから『請求人が本件替栓を歯で噛んで開栓した。』と判断した本件確定判決の認定判示には疑問があり、以上の主張を裏付ける資料としては、鈴木意見書や鈴木証言や土生鑑定や土生証言や土生意見書のほかにも、別表第一の8から17までと同53などとの各証拠がある。」と主張する。

(三) 当裁判所の判断

(1) 人歯痕か否か

まず、「本件替栓の傷痕が人の歯痕か否か疑わしい。」という請求人の主張について検討するに、右の点に関しては、鈴木意見書中には「本件替栓の如き金属面に残された損傷、つまり王冠上の痕跡を人の歯痕と断定することは困難である。」との記述があるけれども、右記述が、もし「本件替栓の傷痕につき、それが人の歯牙により形成された歯痕であるか栓抜き器具等により形成された痕跡であるか判別し難い。」という趣旨だとすれば、以下の諸点を考慮すると、右記述は到底信用できない。すなわち、

ア 鈴木意見書や鈴木証言によると、右記述は、鈴木教授自身において王冠等の金属面に人の歯牙や栓抜き器具等で印象実験をした結果からの結論ではなく、本件旧証拠中の前記六鑑定(以下「本件六鑑定」という。)を検討した結果からの結論であることが明らかである。

イ 鈴木教授自身、鈴木証言において、「鈴木意見書作成前に金属面に印象された歯痕の実験をしたことがないし、また、猿が噛んだか人が噛んだかの判断になると、猿の歯牙は人の歯牙によく似ているので非常に難しいが、本件替栓の傷痕中に人の歯牙による歯痕と考えられるのが一か所ある。」と供述している。

ウ 本件六鑑定は、いずれも、本件替栓の主要な傷痕が栓抜き器具等によって形成された痕跡ではなく、人の歯牙によって形成された歯痕であることを肯定し、これを前提として鑑定をしており、特に、柏谷鑑定は各種栓抜き器具を用いて本件ぶどう酒の瓶と同種の三線ポートワイン用空瓶に四つ足替栓と耳付冠頭とを装着したものの開栓実験を行い、その際に形成された四つ足替栓の表面の傷痕の状態を観察したうえで、本件替栓の傷痕が人の歯痕であるという可能性が強いという結論を出したものであるし、船尾鑑定も、右同様栓抜き器具を用い開栓実験をしたうえでの鑑定である。

(2) 歯痕の個人識別に関する新旧証拠

次に、本件替栓に印象された歯痕の個人識別の点について検討するに、請求人が提出した各証拠のうち、別表第一の8から17までの各証拠は、それぞれ斯界の権威の見解であり、特に、同16は本件六鑑定を総覧したうえでの意見であり、また、同17は歯科用ボクシングメタルの上に印記された同一人の同一歯牙による歯痕(線条痕)や多数人の同一歯牙による歯痕(線条痕)を用いての異同識別の実験をした結果に基づく意見の開陳であるものの、いずれも、本件替栓の歯痕との関連において個人識別の可能性等を論じたものではないのに対して、他方、鈴木意見書や鈴木証言は、本件六鑑定の検討の過程で、本件六鑑定に添付されている写真や図面等により本件替栓の傷痕(歯痕)の状態を観察し、鈴木証言は本件替栓の現物を見せられたうえで、本件替栓の傷痕(人の歯痕)との関連において個人識別の可能性の有無について言及し、土生鑑定や土生証言や土生意見書は、本件替栓に直接あたって鑑定を遂げ、その鑑定の結果等につき証言すると共に意見書を作成し、別表第一の53(以下「斉田報告書」という。)も、土生鑑定や土生証言や土生意見書と同様、本件替栓に直接あたって調査を遂げているから、以下別表第一の8から17までの各証拠を参考にしつつ、鈴木意見書や鈴木証言や土生鑑定や土生証言や土生意見書や斉田報告書の信用性について判断し、更に、これら鈴木意見書等による影響の有無、すなわち、柏谷鑑定、古田鑑定及び松倉鑑定とこれらの三個の鑑定を敷衍するものとしての柏谷ら証言、古田証言及び松倉証言との各証明力に対する影響の有無を検討することにする。

(3) 新証拠の旧証拠に対する批判等

そこで、鈴木意見書や鈴木証言や土生鑑定や土生証言や土生意見書や斉田報告書の見解をみると、大要以下のとおりである。

ア 鈴木意見書・鈴木証言

a 歯痕同定の困難性

ある物体を歯で噛む場合、これにより印象された歯痕からこれを印象した特定人なり特定歯牙を同定する方法としては、歯痕の形態を把握し、歯痕と成傷器としての歯牙ないしこの歯牙から採取された歯型とが合致するか否かを検討する方法がある。しかし、

<1> 形態把握

右物体が本件替栓のような金属面である場合は、歯牙により印象される痕跡が点に似た押圧痕とか条痕ないし擦過痕とかであることが多いから、まず歯痕を数的に把握することが容易でないうえ、その形態を、立体的にはもちろん平面的にも、把握することが困難であり、しかも、噛む角度や方向や強さの如何によっては、同一人の同一歯牙により印象された痕跡であっても、必ずしも形態的に同一であるとは限らない。

<2> 歯痕間隔測定

また、金属面に印象された歯痕間の距離を測定し、この数値と特定人の歯牙(ないし歯型)間の距離もしくは右歯牙(ないし歯型)を金属面に印象して得られた痕跡間の距離を測定した数値とを比較対照して、歯痕を印象した特定人や特定歯牙を同定することは理論的には可能であるが、実際には、以下の事情により、右同定にはかなりの困難を伴う。すなわち、

ⅰ 金属面に印象された歯痕の形態を立体的に把握することは、もともと、歯痕が金属面には創洞を持つものとして印象されないから、右<1>のとおり、困難であるうえ、右歯痕は、それが押圧痕であれ、条痕ないし擦過痕であれ、本件替栓に印象されている歯痕と同様、一定の長さや幅があるから、歯痕間の距離を測るとしても、どこからどこまでを測るかということがまず問題であり、この場合、松倉鑑定のように歯痕の中心点と中心点とを測るのも基本的には誤っていないし、古田鑑定のように中間値を出すのも一つの方法であると思われるが、中心点や基点をどこに求めるかは、測定者により個人差があり、かなり難しい。

ⅱ 問題の歯痕と特定人の歯牙(ないし歯型)あるいはこれにより印象された痕跡のいずれを相対峙するものとして測定値の比較対照をなすべきかは、歯痕の形態を立体的に把握できないことにより歯痕そのものから特定歯牙を割り出すことが困難であるのに加え、特に本件替栓の歯痕が開栓行為により印象されたとする場合、開栓の状況の想定の仕方が違うと、比較対照すべき歯牙(ないし歯型)も異なってくる(例えば、古田鑑定では上顎右側犬歯、同第一小臼歯及び同第二小臼歯と比較対照しているのに対し、松倉鑑定では上顎右側外切歯、同犬歯、一部同内切歯と比較対照している。)点で問題がある。

ⅲ 歯痕の間隔が全く同一であるという人があっても不思議ではない。

<3> 条痕・擦過痕による識別

更に、周波条は、歯牙組織の中の琺瑯質の発育線条といわれ、エナメル小柱とは異別のものであるが、もともと歯牙の咬合面では、加齢による歯牙の咬耗や摩耗により消失し、他の面に比して周波条を認めにくいうえ、まして本件替栓のような硬固な金属面上の歯痕中に周波条を発見することは不可能に近いし、エナメル小柱が歯牙の表面に出て金属面に印記されるということは今までに見たことがないけれども、仮に、金属面上に印象された歯痕のうち、条痕ないし擦過痕(各歯牙面と切端面ないし咬合面とのなす稜角によって印象された痕跡)が特定人の条痕ないし擦過痕と完全に合致すれば、印象者ないし印象歯牙を推定することできようが、条痕ないし擦過痕による個人識別の問題については指紋の場合ほど研究が進んでいない。

したがって、以上<1>ないし<3>のことがらを前提とするならば、本件替栓のような金属面に印象された歯痕については、その形態、間隔、歯痕中の条痕ないし擦過痕の特徴から特定の個人や特定の歯牙を確定的に同定することはできない。

b 旧証拠に対する批判等

この意味で、本件替栓の痕跡をもって請求人の歯牙による痕跡と同定した柏谷鑑定や古田鑑定や松倉鑑定は以下のような疑問がある。

<1> 柏谷鑑定

柏谷鑑定は、本件替栓の歯痕が資料B(請求人の歯型)に類似し、資料C(石原利一の歯型)とは類似していないとの判断を下しているのに、他方で、同鑑定は資料Bの上顎右側犬歯の突端と上顎右側第一小臼歯の頬側咬頭頂の著しい磨滅のみを挙げており、資料Cについて類似しないことに関する積極的な考察がなされていない点で不足感が多い。

<2> 古田鑑定

次に、古田鑑定には、写真の比較照合に正確さを欠くきらいがあるし、同鑑定は、本件歯型の上顎右側犬歯と同第一小臼歯と同第二小臼歯との結節又は隆線の間隔を測るについて、単に右歯型を水平に立てたときの一番高いところを咬頭頂とし、その間の間隔を測っているが、実際に四つ足替栓を噛む場合、噛む角度や方向や強さの如何によっては、必ずしも一番高いところが替栓上に印象されるとは限らず、二番目に高いところが印象されるかも知れないし、右咬頭頂間の距離がそのまま替栓上に現出されるとは限らない。

<3> 松倉鑑定

更に、松倉鑑定については、同鑑定のFを下顎の支点として本件替栓を噛む場合、同鑑定のイのような形態の歯痕が上顎右側外切歯と上顎右側犬歯とのいずれの歯牙によっても印象される可能性はあるが、その場合に、同鑑定のイが上顎右側外切歯により、同鑑定のロが上顎右側犬歯によって同時に印象されるということはあり得ず、同鑑定のイのような形態の歯痕は単に上顎右側外切歯なり上顎右側犬歯なりの歯牙を押しつけただけではできず、歯牙が四つ足替栓上を奥から手前に縦に移動したとき、すなわち、四つ足替栓の上下を同鑑定のイの位置が七時と八時との方向に横たわるように定めると歯牙が左の方から右の方に移動したときに印象されると考えられ、したがって、同鑑定にいう開栓動作や噛む方向は納得できない(反面、上顎右側犬歯でイ損傷が印象されたとき、同時にホ、チ損傷等が別の歯牙で印象されたとする古田鑑定にはこの点の矛盾はない。)点があるし、そもそも、同鑑定が、「本件替栓と証四二号替栓との各歯痕は同一人の歯牙によって発生可能である。」とあくまで可能性について論及しながら、結論において本件替栓の歯痕は請求人の歯牙により形成されたと確定的に同定しており、用語の使用上においても賛同できない。

イ 土生鑑定

a 松倉鑑定・古田鑑定の資料・材料の問題点

本件替栓と証四二号替栓との上に残された傷痕が同一の歯牙により生じたという鑑定は、あくまで推論であり、この推論に信頼性を与えて客観的事実として認知させ得るためには、高い精度の測定や統計処理や測定結果に対する普遍性の検討が必要である。しかるに、

<1> 本件歯型につき、模型材として用いられたと思われる普通石膏は硬化膨張が非常に大きく、寸法が原寸より増加する性質があり、印象材として用いられたと思われるアルジネートもそのままにしておくと次第に寸法が縮小していく性質があるから、右石膏歯型の精度は低い。

<2> 被験者が歯牙で噛み、あるいは本件歯型を押捺してモデリングコムパウンドの上に作成した各歯痕は、石膏歯型が、右のように、再現性に問題があるうえ、印象材であるモデリングコムパウンド自体も熱膨張係数が非常に大きく、細部の再現性が非常に劣っていて、現在では精密印象材として用いられていないから、その正確性に問題がある。

<3> 本件歯型を原型として、これに粘土を圧接して型を取り、この型の中に溶けたメロットメタルを流し込んで作成したメロットメタル歯型についても、原型そのものが、前記のように、歯牙の再現性に問題があるうえ、粘土も変形し易いから、メロットメタル歯型の寸法や精度には問題がある。

<4> 松倉鑑定や古田鑑定は、本件替栓と証四二号替栓との上の歯痕間の間隔測定を行うに当たり、本件歯型を比較の対象として用い、更に、松倉鑑定は予備実験にモデリングコムパウンド上に作成した歯痕を用い、咬圧試験を行うため本件歯型を原型として作成したメロットメタル歯型を用いているが、松倉鑑定及び古田鑑定が用いた資料や材料に問題があるから、結局、両鑑定の歯痕間測定の精度に疑問がある。

b 松倉鑑定の右以外の問題点

松倉鑑定に関しては、鑑定に用いた資料や材料上の問題点のみならず、次のような問題点が残る。

<1> その予備実験が傷痕の中心点と特徴点との区別やその決定基準や測定回数が不明である。

<2> 本件替栓中同鑑定が上顎右側外切歯により印象されたというイと同犬歯の一部により印象されたというロとの中心点の間隔の記載が不正確、不合理である。

<3> 例えば、同鑑定は本件替栓のホと証四二号替栓のルの周波条痕とが写真上一致するというけれども、写真のどの部分を切り取ったのかという点の記載も倍率の記載もないうえ、右ホの幅とルの幅の計測値が一致していない。

c 古田鑑定の右以外の問題点

古田鑑定に関しても、鑑定に用いた資料や材料上の問題点のみならず、次のような問題点が残る。

<1> まず、本件替栓と証四二号替栓とを数値なしに比較するとか、二枚の写真を重ねるとかの非科学的方法を採っている。

<2> 本件替栓と証四二号替栓と本件歯型との関係を最大幅、最小幅で比較検討するのに、本件歯型については、平面に印象された傷痕ではなく、移行形で客観性のない歯の結節(隆起)を対象にしており、しかも、本件替栓の傷痕と本件歯型の結節とは原寸で一致していない。

d 結語

結局、古田鑑定も松倉鑑定も「同一人の同一歯牙による歯痕間隔でも一致しないことがあり、また、同一人の同一歯牙によらなくても一致することがある。」という二つの仮説を否定し得ない、したがって、古田鑑定や松倉鑑定のように、「本件替栓と証四二号替栓との歯痕は同一人の歯牙によって生じた。」とか「本件替栓は請求人の歯によって印象されたものである。」とかと結論づけることはできない。

ウ 斉田報告書

古田鑑定及び松倉鑑定は、いずれも、本件替栓の歯痕の拡大写真中の一部を切り取り、これを証四二号替栓の歯痕の拡大写真の中の任意に選んだ条痕の一部に当てはめ、これらが一致又は類似するとしているもので、この程度の部分的な比較によって歯痕全体が一致又は類似するといえるかどうかは疑わしく、二つの歯痕が同一歯牙によるものといえるためには、歯痕の二次元的形状だけではなく、三次元的形状も一致していなければならないが、古田鑑定及び松倉鑑定に添付された拡大写真中、一致するとして対照された写真だけでは、歯痕の三次元的形状が一致又は類似すると断定することはできない。

(4) 新証拠の旧証拠に対する批判の妥当性

ところで、鈴木意見書と鈴木証言とが指摘している前記(3)のアのaの<1>から<3>までの諸点は、いずれも、例えば、「本件替栓のような四つ足替栓(硬金属面)を歯牙で噛んだ場合に印象される痕跡を立体的にも平面的にも把握することが困難である。」ということは船尾鑑定や三上鑑定が触れており、「右四つ足替栓上に同一人の同一歯牙によって印象された痕跡であっても、噛む角度や方向、強さ如何によっては、必ずしも形態的に同一であると限らない。」ということは船尾鑑定や古田証言や松倉証言が触れており、「歯痕の間の距離を測るについて、中心点や基点をどこに求めるかが困難である。」ということは三上鑑定、古田証言、松倉証言が触れており、「本件替栓の歯痕中の条痕ないし擦過痕は、各歯牙面と切端面ないし咬合面とのなす稜角、いわば歯の先端の微細な凹凸によって印象されたもので、周波条やエナメル小柱によって印象されたものでない。」ということは古田証言が触れている如く、本件六鑑定(各鑑定人の証言を含む。)が、多かれ少なかれ触れているところであり、かつ、本件確定判決も、多かれ少なかれ、前記(3)のアのaの<1>から<3>までの諸点を前提に、本件六鑑定(各鑑定人の証言を含む。)の信用性や証明力を判断していたところであって、これらの諸点が信用できることは本件六鑑定とその作成者の各証言と別表第一の2、同16、及び同17の各証拠とに照らし、更に本件六鑑定が有意と認めた歯痕の数や形態がそれぞれ異なっていること自体に照らし、明らかである(因みに、松倉教授自身、検察官が当裁判所に提出した松倉豊治作成の意見書及び同人作成の「松倉鑑定書に関する説明書等の提出について」と題する書面《以下「松倉説明書等」という。》添付の「松倉鑑定書に関する説明書」中で、いわゆる周波条痕について鈴木意見書のとおりであることをほぼ認め、松倉教授が従前、周波条痕と述べてきたものは歯冠・歯頭咬合面による咬圧条痕と称するのが相当であるという。)ものの、それだけでは、古田鑑定、松倉鑑定等の証明力への影響という点では、格別の資料というほどのものではない。

更に、いわゆる歯痕の識別・同定の鑑定には、対象歯痕は甲によって印象された旨積極的に歯痕の識別・同定を行う場合と、対象歯痕は甲によって印象されたとしても矛盾はない旨消極的に歯痕の識別や同定を行う場合とが考えられるところ、請求人は、「松倉教授は歯痕が形態的に把握できずとも歯痕鑑定が可能であるというのに対し、鈴木教授は歯痕の形態的把握が可能である場合、すなわち、歯痕の形状を三次元的に把握することができる場合に限り歯痕鑑定が可能であるという。」旨主張するけれども、鈴木意見書・鈴木証言にせよ、また、土生証言・土生意見書にせよ、その各内容を精査するならば、前述したとおり、種々の限定条件は付加するものの、歯痕の中心点から中心点までを測定したり、あるいはその中間値を求めたり、更には、歯痕中の条痕の二次元的特徴などから歯痕の形態を二次元的に把握したりすることにより、前記積極、消極双方の意味での歯痕識別、同定の鑑定の理論的可能性までも否定しているものとは到底考えられない。

もっとも、斉田報告書は二次元的特徴把握による個人識別の理論的可能性を一切否定するかのようにも読めるが、その真意は鈴木意見書・鈴木証言、土生証言・土生意見書の域を超えるものではないと理解される。

(5) 鈴木意見書の旧証拠に対する批判の妥当性

しかしながら、鈴木意見書・鈴木証言が柏谷鑑定、古田鑑定、松倉鑑定に対して加えている前記(3)のアのbの<1>から<3>までの諸点を指摘した批判については、以下のとおり、妥当する部分もある。

ア 松倉鑑定

まず、松倉鑑定については、検察官が当審で提出した松倉豊治作成の意見書及び松倉説明書等添付の「昭和五十四年七月三十日付松倉鑑定書への弁護人の疑問ないし批判に対する説明」と題する書面にもかかわらず、古田鑑定や古田証言とに徴しても、松倉鑑定がイと符号をつけた歯痕はその形態からして上顎右側外切歯なり同犬歯なりの歯牙が横にずれたとき印象されたものとは到底考えられないところである。

イ 柏谷鑑定・古田鑑定

柏谷鑑定及び古田鑑定については、柏谷鑑定は、資料Bと資料Cとから複製したオルデン歯型により本件替栓と同種の三線ポートワインの四つ足替栓上に引っ掻き痕をつけるという実験をし、痕の状態や凹みや間隔等を観察、測定し、これらと本件替栓の歯痕の状態、凹み、間隔等とを比較対照し、資料Bの上顎右側犬歯、同第一小臼歯の磨滅をも考慮したうえ、本件替栓の歯痕は資料Bに類似するが、資料Cとは類似していないとの結論を出したもので、単に上顎右側犬歯、同第一小臼歯の磨滅のみから右結論を出したものではないことが明らかであり、古田鑑定は、写真の比較照合をするに当たり、必要な場合は被写体のそばにスケールを添えて撮影し、あるいは同倍率の写真を切り取り、貼りつけるなどして照合する等創意と工夫をこらしており、更に、同鑑定が本件歯型の上顎右側犬歯と同第一小臼歯と同第二小臼歯との結節又は隆線の間隔を測るについて、単に右歯型を水平に立てたときの一番高いところを咬頭頂とし、その間の間隔を測っているが、実際に四つ足替栓を噛む場合、噛む角度や方向や強さの如何によっては、必ずしも一番高いところが替栓上に印象されるとは限らず、二番目に高いところが印象されるかも知れないし、右咬頭頂間の距離がそのまま替栓上に現出されるとは限らないということも考慮のうえ歯痕ないし歯型中の歯牙間隔を測定するのに中間値を求める方法を採用し、本件替栓と証四二号替栓の歯痕間隔と本件歯型の結節又は隆線の間隔(中間値)とが相互に近似的に一致したとしているのであって、鈴木意見書・鈴木証言が加えている批判の全部が必ずしも当を得たものではないとはいえ、鈴木意見書・鈴木証言が柏谷鑑定、古田鑑定、松倉鑑定との関係で、本件替栓の歯痕の形態、間隔、歯痕中の条痕ないし擦過痕の特徴から右歯痕を印象したのが請求人であると確定的に同定することはできないと結論づけた部分は、以下の意味で、すなわち、如何に本件替栓の歯痕と証四二号替栓の歯痕又は本件歯型の間隔とが一致し、更に本件替栓の歯痕中の歯痕の拡大写真による特徴と証四二号替栓のそれとが一致しようと、それは全部の歯牙による既知の歯痕ないし歯型と未知の歯痕との間で、すべての間隔が一致し、もしくは歯痕中のすべての条痕の特徴が一致した場合とは全く異なるうえ、歯痕等の間隔や歯痕中の条痕の特徴による個人識別の研究が指紋の場合のそれほど進んでおらず、確固不動の定説といったものが存しない現状においては、請求人以外にも本件替栓の歯痕と同一ないし近似する間隔において、かつ右歯痕中の条痕と同一ないし近似する特徴を有する歯痕を印象し得る人物が存在するかも知れないとの疑問がなお残るという意味で、信を措かざるを得ない。

(6) 土生鑑定の旧証拠に対する批判の妥当性

土生証言・土生意見書の松倉鑑定及び古田鑑定に対する批判も、以下の点、すなわち、松倉鑑定はモデリングコムパウンド上の前記歯痕により歯痕細部の精密な特徴や歯痕の大小、広狭により歯痕識別の基準を検討したわけではなく、隣り合う歯の中心点の間、あるいは、特徴点の間の間隔を計測することの有意義性を確認したに過ぎない点、咬圧試験に先立ち、松倉鑑定人において原型である本件歯型とメロットメタル歯型とが、その各部の特徴及び計測値が一致することを確認したことが明らかである点、検察官が当裁判所に提出した松倉説明書等添付の「斉田義幸氏の調査報告書について」と題する書面や松倉豊治の検察官に対する供述調書によれば、松倉定書そのものには添付写真についての倍率の記載はないものの、右写真の二〇倍の倍率で撮影したことが認められる点で、必ずしも当を得ないところがあるとはいえ、鈴木意見書・鈴木証言の場合と同じ意味でその批判は無視できず、結局のところ、土生証言・土生意見書が「『本件替栓上の歯痕が請求人の歯牙によって印象されたものである。』と結論づけた松倉鑑定及び古田鑑定は誤っている。」という部分は、松倉鑑定及び古田鑑定が「同一人の同一歯牙による歯痕間隔でも一致しないことがあり、また、同一人の同一歯牙によらずとも一致することがある。」という仮説を否定し切れていないという意味では、信を措かざるを得ない。

(7) 新証拠(土生鑑定)の証明力の限界

以上に反して、鈴木意見書・鈴木証言も、本件替栓の歯痕について、それが請求人の歯牙によって印象された可能性までも積極的に否定する資料となし得ないことは、右鈴木意見書・鈴木証言の内容に照らして明らかである。

この点に関し、土生鑑定・土生証言は、本件替栓及び証四二号替栓により作成したレプリカにつき、東京精密社製三次元表面粗さ・輪郭形状測定装置(以下「表面粗さ測定装置」という。)を用いて歯痕の三次元的形状を測定、描記したものを考察した結果、松倉鑑定でイ、ホ、ト、チ、リ、ヌと符号をつけられた本件替栓上の歯痕及びイ、ホ、ヘ、チ、ヌ、ルと符号をつけられた証四二号替栓上の歯痕について、「本件替栓のイ、ト、チ、リと証四二号替栓のイとは一致しないし、証四二号替栓のヌとチとは一致しないし、本件替栓のホと証四二号替栓のルとは一致しないし、本件替栓のヌと証四二号替栓のヌとは一致しないし、本件替栓のチと証四二号替栓のホやへとは一致しない。」と結論づけ、更に、土生証言は、「土生鑑定のとおり、歯痕がいずれも一致しない以上、本件替栓上の歯痕と証四二号替栓上の歯痕とは同一歯牙によるものではないという確率が大きいと推定できる。」旨供述する。

そこで、土生鑑定・土生証言の右結論、供述部分の信用性につき検討するに、土生鑑定人は、付加重合型シリコンラバー歯科用印象材であるバイエル社製プロビールのパテタイプと低粘度タイプとを使用して本件替栓及び証四二号替栓のレプリカ(各三個ずつ)を作成したうえ、まず、日本光学社製万能投影機に組み込まれたコンパレーターを用いて本件替栓及び証四二号替栓上の歯痕の寸法を二次元的に測定し、更に、表面粗さ測定装置を用い、右各歯痕につき、右レプリカの表面の粗さ、すなわち、三次元形状を測定するとともに、右側定装置に連結されたXYプロッターによりその三次元形状を描記させ(本件替栓のイについては、レプリカの隆起が高く、測定、描記とも不可能であった。)、以上を総合し、特に三次元形状の計測結果及び考察に基づき、前記の結論、供述に至ったことが土生鑑定・土生証言により認められる。

しかしながら、土生鑑定人が作成した本件替栓と証四二号替栓とのレプリカの精度については土生鑑定・土生証言により一応肯認できるとしても、前記の結論、供述部分は、以下の諸点に照らすならばにわかに信用できない。

ア 歯痕による同定

土生鑑定・土生証言は、「同一人の同一歯牙によって二個の王冠上に印象された歯痕でも、歯痕の深さの如何では同一の特徴が現れるとは限らないが、歯牙の先端部分は、歯痕の深さの如何にかかわらず、正確に印象されるはずであるから、浅い歯痕の三次元形状中の特徴と同じものが深い歯痕の三次元形状中に現れているか否かを比較対照して検討すれば、所与の歯痕が似ているか否かを判断できる。」というが、土生証人自身、「歯牙の先端部分の歯痕の場合ですら、印象される王冠(複数)の反発力(強度)の差異、印象時の王冠(複数)に対する歯牙の方向、角度や歯牙にかかる力の強さの差異等により、同一の特徴を呈するとは限らない。」ということについては、これをあえて否定してはいない。

イ 三次元形状の測定

仮に、同一特徴を呈するとしても、王冠(複数)上の歯痕の三次元形状を測定、描記する段階において、測定針の動き(X方向)を歯痕に対していかなる角度に調整するかにより、測定、描記された三次元形状は大きく異なってくるものと考えられ、土生鑑定・土生証言によれば、本件替栓及び証四二号替栓上の歯痕の三次元形状の測定、描記に際しては、測定針の動き(X方向)が歯痕の長さに対して直角になるよう最終調整したことが認められるが、所与の歯痕は土生鑑定のコンパレーターによっても〇・二ないし〇・九ミリメートルの幅があり、これをX方向で五〇倍にして測定、描記するに当たり、歯痕の長さに対し直角に調整することは、仮想線でも引かない限り至難の技である。

ウ 予備実験

土生鑑定・土生証言によれば、土生鑑定人は、鑑定に先立ち、予備実験として、被験者二名をして開栓済の無傷のビール王冠二個ずつをその上顎右側犬歯により噛ませることにより得られた各王冠上の歯痕について、表面粗さ測定装置を用いてこれらの三次元形状を描記したことが認められるところ、同鑑定人は、土生証言の中で、「右予備実験の目的は、王冠上にどのような歯痕がつくかということと、どのような三次元形状が描記されるかということと、どの程度に明確な王冠上の歯痕が三次元形状として再現できるかということとを試すことにあった。」と供述し、「同一歯牙による二個の王冠上の歯痕が一致するか否かを判断するために予備実験をしたものではない。」旨弁解し、これらの三次元形状が一致するか否かについては明言を避けるものの、問題の三次元形状を比較対照してみても、それらが同一人の同一歯牙によって印象されたことは、既知の二個の王冠上の歯痕を描記した三次元形状であるはずなのに、一見しても、これらが一致するとも、一致しないともにわかに断定できない。

エ 結語

もともと、表面粗さ測定装置を用いて測定、描記された三次元形状による王冠上の歯痕の個人識別については、土生証人も「成傷器の再現性についてのルールはいまだ確立していない。」旨供述するように、三次元形状が一致するか否か、ひいては、同一歯牙によるものであるか否かを判断するための前提となる王冠上の歯痕を三次元形状として測定、描記する方法・条件(基準)や測定、描記された三次元形状の比較対照の方法・条件(基準)が、現在のところ学問的に確立されているとは考えられない。

その他、請求人が当裁判所に提出した各証拠をつぶさに検討してみても、本件替栓上の歯痕が請求人の歯牙によって印象された可能性までも否定する資料は見いだせない。

(8) 旧証拠の証明力への影響

以上考察したところから、鈴木意見書・鈴木証言及び土生証言・土生意見書が柏谷鑑定、古田鑑定及び松倉鑑定の証明力へ及ぼす影響をみると、以下のとおりである。

ア 柏谷鑑定

まず、柏谷鑑定は、本件替栓の歯痕が請求人の歯牙によって印象された歯痕に類似すると結論づけるに過ぎず、本件替栓の歯痕が請求人の歯牙によって印象されたとまでは断定していない(因みに、この点は請求人自身も別表第一の18と同19とを引用したうえ、「柏谷鑑定は本件替栓上の歯痕と請求人の歯痕との類似を積極的に肯定したものではないことが明らかである。」と主張する。)から、それほどその証明力が減殺されたとまではいえないが、この証明力が多少なりとも減殺されていることは間違いない。

イ 古田鑑定・松倉鑑定

次に、古田鑑定及び松倉鑑定は、いずれも、本件替栓の歯痕が請求人の歯牙によって印象されたと断定的に結論づけている(この点で、松倉鑑定中には、鈴木意見書・鈴木証言が前記(3)のアのbの<3>で批判しているように、「本件替栓と証四二号替栓との各歯痕は同一人の歯牙によって発生し得る。」と論述している部分があるけれども、松倉鑑定中のその他の部分の論述や松倉証言にかんがみるならば、松倉鑑定は、本件替栓と証四二号替栓との各歯痕が同一人の歯牙、すなわち、請求人の歯牙によって印象されたことを断定的に結論付けたものと判断される。)から、大幅な証明力の減殺は免れないものの、古田鑑定及び松倉鑑定には、歯痕が請求人の歯牙によって印象されたという積極的識別、同定の鑑定と同時に、歯痕が請求人の歯牙によって印象されたとしても矛盾は生じないという消極的識別、同定の鑑定も当然含まれていると見るべきであるから、古田鑑定及び松倉鑑定は、柏谷鑑定と同様、右消極的鑑定の限度においては、証明力を、なお、保持しているといわなければならない。

7  自白の任意性・信用性

(一) 請求人の主張

請求人は、「本件確定判決が、『請求人の自白調書を除外した爾余の証拠だけでも本件犯行が請求人の犯行であると断定するになんら支障がない。』と説示してはいるものの、本件旧証拠中の請求人の自白調書の任意性と信用性とを肯定し、これを前提に自白調書に依拠して本件確定判決認定判示の事実を認めたことは間違いがないところ、捜査機関においては、

(1) 請求人の自白の前に、本件事件は計画的殺人事件であって、請求人がその犯人であるという予断を持ち、請求人が三角関係の清算のため女竹から作った竹筒に本件農薬を入れて本件公民館に携行したうえ、本件公民館内で本件ぶどう酒の中に本件農薬を混入した後、右竹筒を本件公民館内のいろりで焼却したという筋書を策定し、この筋書をもとに捜査を進め、

(2) チエ子が本件犯行の犯人であるという罠まで用意し、昭和三六年四月一日の段階で、詐欺的かつ強制的な取調べにより、請求人をこの罠に嵌めて絶対絶命の窮地に陥れたうえ、

(3) 部落関係者と合作し、

(4) 右罠に嵌まった請求人を、

ア 連日深夜にわたって鉄格子のはまった保護室で取り調べ、

イ 請求人の身柄の拘束までは、連日、警察のジープで送迎し、

ウ 特に、同年四月一日の夜は、請求人方に泊り込んだ警察官に監視されると共に、

エ 以上のチエ子犯人説を新聞紙上に大きく報道させ、

オ 請求人に記者会見をさせて報道機関の前に晒し、一般公開する

等の違法不当な取調べをして、本件犯行の実行や本件一〇分間の存在や本件犯行の動機や本件犯行の準備等に関し、請求人に虚偽の自白をさせ、かつ、右自白の訂正を不能ならしめたものであり、したがって、請求人の自白は任意性及び信用性に欠ける。」と主張し、

「右(1)の点は別表第一の23、同24、同56、別表第二の11、同12及び別表第四の5の各証拠によって明らかであり、

右(2)の点は別表第一の56、別表第二の18から20まで及び別表第四の5の各証拠によって明らかであり、

右(3)の点は別表第一の20、同23及び別表第四の5の各証拠によって明らかであり、

右(4)の点は別表第一の56、別表第二の18から20までの各証拠によって明らかである。」と述べ、

「請求人の前記自白中の『ニッカリンTを四ないし五立方センチメートル位本件ぶどう酒の中に混入した。』という供述が虚偽であるということは、ニッカリンTの加水分解の進行度とニッカリンT混入の本件ぶどう酒が本件事件当夜本件公民館内で行われた三奈の会の懇親会に出席した女性会員二〇名の湯飲み茶碗に分け注がれたこととにかんがみると、ニッカリンT混入の本件ぶどう酒を飲んだ右女性会員の死亡という結果が発生するためには八・五立方センチメートル以上のニッカリンTを本件ぶどう酒に混入することが必要であったことに照らして明らかであり、このことは、別表第一の4、同58、同62、同63、別表第二の5から7まで、同22及び別表第四の6の各証拠によって明らかである。」と主張する。

(二) 筋書設定・チエ子犯人説について

しかしながら、前記(一)の(1)及び同(2)の各主張については、別表第四の5によれば、昭和三六年三月二八日中毒事案発生の通報に接した名張警察署からの報告を受けた三重県警察本部では、早速、名張警察署に捜査本部を設置し、捜査方針を立て組織的捜査を開始したことと、重要参考人として取調べを受けていた請求人は、同年三月中には「請求人としては、フミ子が家庭不和から毒を入れたものと思う。」と述べていたが、同年四月一日に至り「チエ子が本件事件当日本件公民館内で本件ぶどう酒の瓶の中に何か入れるのを見た。」と供述を変えたこと、前記捜査本部では請求人の右各供述を信用せず、請求人を有力な容疑者と目し、同月二日も請求人からの事情聴取を続けたところ、請求人は、午前中は前日の供述を維持していた(したがって同月二日付で請求人の参考人調書が作成された。)が、裏付け捜査によって得られた資料をもとに右各供述の矛盾点を追及された請求人は、同月二日夜に全面的に、「請求人が本件犯行をした。」と自供するに至り、同日付で請求人の被疑者調書も作成されたこととが認められ、右事実は本件旧証拠によっても裏付けられるものの、それ以上捜査機関において、同年四月二日夜の請求人の自供開始の前に、所論のような予断を持っていたとか、所論のような筋書を策定していたとか、チエ子犯人説の罠を予め用意し、詐欺的、強制的取調べにより請求人をこの罠に嵌めたという請求人主張の事実は、別表第四の5はもとより、別表第一の20、同23、同24、同56の各証拠を含む請求人が当裁判所に提出した全証拠によっても、これを認めることができない。

かえって、捜査本部が、本件事件を故意、過失両面の中毒死事件と考えて、捜査を開始し、当初、〓雄や石原利一らを、請求人と同様、参考人として取り調べたことと、「チエ子が本件事件の犯人である。」という請求人の供述に基づき、捜査機関では、昭和三六年四月二二日亡チエ子の墳墓を発掘し、墳墓内や同女の死体の着衣や棺桶の内外にニッカリンTその他の毒物やその容器等が存しないかどうかを検証したこと(本件確定記録三四〇丁以下)や請求人からの「チエ子のエプロンのポケットに小瓶があるのを請求人が発見して水洗いした。」という供述により、右小瓶を領置し、これについて、燐成分の有無の鑑定にまわしたこととが本件旧証拠及び当裁判所で取り調べた各証拠によって明らかであり、以上の事実によれば、捜査機関において、「本件事件が殺人事件であり、請求人が犯人である。」との予断を持ってはいなかったことが十分推測できる。

逆に、「請求人は、罠に嵌まって絶対絶命の窮地に陥られた末自白した。」という請求人の主張にもかかわらず、請求人が、本件確定判決の前において自己の無罪を主張するに当たり、「請求人の捜査官に対する自白に虚偽がある。」という供述のみならず、「チエ子が本件事件の犯人である。」という供述をし、当裁判所に対してもなお、「チエ子が本件事件の犯人であるかも知れないとの疑いを請求人は現在でも持っており、頭から離れない。」と述べていることが本件旧証拠及び当裁判所で取り調べた各証拠によって明らかであり、以上の事実によれば、捜査機関がチエ子犯人説の罠に請求人を嵌めたという主張に沿う請求人の各供述は、甚だ理解に苦しむところである。

(三) 関係者との合作について

次に前記(一)の(3)について、この主張との関連で新規性の認められる別表第一の20と同23との各供述部分、すなわち、「このような恐ろしい事件がどうして発生したかいろいろ考えまして警察の捜査に積極的に協力し、一日も早く解決したいと念願している。」旨の供述部分を考慮し、その他別表第四の5を含む請求人が当裁判所に提出した全証拠を検討してみても、捜査機関において請求人の自白を得るための方策等を部落関係者と合作したことを窺わせるような事実は認められない。

(四) 強制等について

更に、前記(一)の(4)については、請求人が自白するに至るまでの捜査機関の取調べ状況に関して、請求人は、「三月二九日から請求人に対する参考人としての取調べが始まったが、当日は自宅で取り調べられ、同月三〇日から以降は名張警察署で取り調べられるようになり、同月三〇日は午前一〇時ころ警察のジープに迎えられて出頭し、午後四時ころ帰宅し、同月三一日は午後九時半か午後一〇時ころ帰宅し、翌四月一日は午後一一時ころ調べが終わり、辻井警部補から『旅館に泊まるように。』といわれたが、請求人は『今日は帰りたい。』といって警察官に送られつつ自宅に帰ったが、その際、警察官は、『新聞記者が入ってはいかん。』といって、請求人の居宅に泊り込んだ。」と述べ(本件確定記録二四五一丁以下、同二九二二丁以下、同三〇六五丁以下)、証人辻井敏文は、「四月一日から請求人の取調べを担当したが、同日は正午に約一時間から一時間半の休憩をはさんで午後一一時一〇分ころまで取り調べた。」と供述し(前同四二五二丁以下)、前記自白の動機等に関して、請求人は、「請求人が『チエ子が本件事件の犯人かも知れない。』と述べたことが新聞報道されたと聞いて心苦しくなり自白した。」とか、「チエ子の犯行の動機は三角関係による嫉妬であり、その原因を与えたのも、ニッカリンTのありかを教えたのも請求人だったので、請求人がチエ子の責任を被る気になったし、辻井警部補から『お前も幇助犯である。』といわれたので自白した。」と述べ(前同三〇六五丁以下、同七九九八丁以下)、他方、辻井証人は、「四月二日に請求人を取り調べた際、請求人が『総会の途中いろりのそばでチエ子が本件ぶどう酒にニッカリンTを入れているのを見た。』と述べたので、辻井証人は『大事に至る前、休憩時にでも何故止めなかったのか。』と問い、人間の生命の尊さとかを請求人に話した結果、請求人は『悪かった。自分がやった。』と涙ながらに話した。」と述べ(前同四二五二丁以下)、記者会見に関して、請求人は、「自供したのち捜査官から『希望があるから記者会見をせよ。お詫びの言葉を報道関係を通じて述べよ。』といわれ、最初辞退したが、結局、断り切れず、名張警察署の宿直室で記者会見を行い、捜査官から教えてもらったお詫び文を発表した。」との供述をし(前同二九二二丁以下、同三〇六五丁以下、同七九九八丁以下)、他方、辻井証人は、「四月三日に上司から記者会見のことをいわれ、自分は反対であったが、報道関係者からの要望が強いということで、請求人に諾否を尋ねたところ、請求人も承諾したので、名張警察署の当直室で記者会見をさせたが、その時の会見は問答式で行われた。」と述べており(前同四二五二丁以下)、本件確定判決も右各供述を当然念頭に置いたうえ、その余の本件旧証拠をも総合検討して請求人の自白の任意性と信用性とを判断したと思われるところ、前記(一)の(4)の主張自体、右各供述に照らして、格別新しい主張を含んでいないうえ、別表第二の18から20までの各証拠にしても、右主張との関連で新規性の認められるのは、先に一の1の(8)で判断した供述部分に過ぎない。そして、なるほど確かに、昭和三六年四月二日付の毎日新聞朝刊には「請求人が同月一日夜『チエ子が本件ぶどう酒に毒を入れた。』と供述した。」旨の記事が掲載されており(因みに、中日新聞や朝日新聞に同旨の記事が掲載されたのは四月二日付夕刊である。)、請求人が供述するとおり、あるいは、請求人が警察で「チエ子が本件ぶどう酒に毒を入れた。」と述べたのち帰宅するまでの間に、請求人夫婦の子供の面倒をみるため請求人方に残っていたチエ子の実母桂きぬ子(以下「きぬ子」という。)が報道関係者からの取材により請求人の右供述を知る機会はあったかも知れないが、同女の検察官に対する36・4・18付供述調書(本件確定記録一八三七丁以下)によるならば、同女は、同月三日午前九時半ころ新聞記者から「請求人が『チエ子が本件ぶどう酒に毒を入れた。』と述べた。」という号外を見せられて初めて、請求人が「チエ子が本件ぶどう酒に毒を入れた。」と述べたということを知ったという事実が認められ、したがって、きぬ子が同月一日当時には、請求人やチエ子が本件事件の犯人であるとの疑念を持っていたということはあり得ないことが明らかであり、そうだとすれば、請求人の「きぬ子は、『チエ子が本件ぶどう酒に毒を入れた。』と請求人が述べたということに立腹し『子供の面倒をもう見ない。』と述べた。」という供述はにわかに信じ難いし、仮にきぬ子からそのようにいわれたとしても、請求人としては、自分が犯人であるとの供述をせずとも、捜査官の面前で、チエ子が犯人であるとの供述を撤回すればすむことであるし、また、請求人としては当時自分の両親も健在であり、あわてふためいて自分が犯人であることを供述せずとも、自分の両親に子供の面倒を見てもらうこともできたと思われ、きぬ子から「子供の面倒をもう見ない。」といわれたことと自らが犯人であるとまで自供しなければならなかったこととは直ちに結びつかないから、子供の面倒を見ないといわれたから自供したとの点に関する請求人の供述は信用できない。また、盗電云々の点について、犯人でもないのに自供した理由として本件旧証拠中でいろいろ述べていた請求人が盗電のことについては本件旧証拠中で一言も述べず、本件再審の請求ののちにおいて初めて言及したこと自体腑に落ちないところであること、請求人が辻井警部補に自白したのは昭和三六年四月二日であって、それまでは参考人として在宅で取り調べられていたに過ぎず、自宅に帰っていたのであるから、自ら又は家人等に連絡して盗電の配線を取り外すこともできたはずであることや「山川巡査部長が『上司の辻井警部補と相談し、その許可を得ることにするから配線図を書くように。』と請求人に言い、請求人が右図面を書き、『右図面を請求人の家族に届けるように。』と山川巡査部長に頼み、右図面を山川巡査部長に渡したが、これは請求人が自白してから数日後のことである。」と請求人自身が供述しているということと、たかだか盗電の配線取外しのため極刑の予想される大量殺人の重大犯行を自白したというのも理解に苦しむところであることとを考慮すると、請求人の自白が山川巡査部長の利益誘導により、盗電の配線取外しを伝えてもらう代償としてなされた旨の請求人の供述は到底信用できない。

(五) ニッカリンTの分量についての自白の信用性

最後に、「請求人の前記自白中、本件ぶどう酒の中に混入したニッカリンTの分量に関する供述が虚偽である。」という請求人の主張との関係において、ニッカリンTの毒性について付言する。

(1) 総説

別表第一の4によれば、確かに、テップの致死量は、二十日ねずみ及び白ねずみの五〇パーセント致死量(以下単に「致死量」という場合は五〇パーセント致死量のことである。)から推すと、一キログラム当たり〇・〇〇三グラム(体重五〇キログラムの場合は〇・一五グラム)であることが認められるものの、右テップがテトラエチルピロフォスヘイトそのものか、それとも農薬としてテップのほかヘキサエチルテトラフォスヘイトあるいは展着剤や乳化剤等も含まれているものかが不明であり、文献上もテップの致死量は動物の種類や投与方法により異なることが窺えるうえ、所論は、本件事件の被害者らが摂取したテップの量を算出するに当たり、ニッカリンTの中に含まれているテップの分量が三五パーセントであり、本件事件当日の気温は摂氏六・九度で本件公民館内のいろりのそばの室内気温は摂氏一五度であり、かつ、本件ぶどう酒の中でも水中におけると同様にテップの加水分解が進行することを前提としているが、本件旧証拠中萩野健児の証言(本件確定記録一七九六丁以下)、津地方気象台36・9・27付証明書(前同二一〇二丁)及び弁護人長井源提出のニッカリンT関係証拠(前同二一〇六丁以下)並びに別表第一の21及び同26によれば、ニッカリンTには三五パーセント以上のテップ(テトラエチルピロフォスヘイト)のほか一五パーセント以下のヘキサエチルテトラフォスヘイトその他展着剤や乳化剤等が含まれており、右ヘキサエチルテトラフォスヘイトにも毒性があることと、テップの加水分解速度はアルカリ度が高いほど促進されるところ、本件ぶどう酒は酸性が強いから、本件ぶどう酒の中にニッカリンTを注入した場合の加水分解速度はニッカリンTをアルカリ溶液や水溶液に注入した場合より相当遅れることや本件事件当日の伊賀地方の平均気温は摂氏五・七度であり、午後六時には摂氏六・九度、午後九時には摂氏三・四度を示しており、名張地方も右と大差なかったこととが認められるから、所論の摂取量算定の方法は前提において誤っており、このようにして算出された摂取量と前記致死量とを比較しても全く無意味であるといわざるを得ない。試みに、本件ぶどう酒に混入されたニッカリンTの量を五立方センチメートルとし、右ニッカリンTの中のテップ等毒物の含有量を五〇パーセントとし、本件公民館内のいろりの近くにニッカリン混入の本件ぶどう酒が置かれていた間(二時間三〇分ばかり)の付近の室内温度を摂氏一〇度とし、加水分解によるテップ等の毒性減量を七パーセントと仮定する場合には、本件事件の被害者に分配された本件ぶどう酒の飲用時における本件ぶどう酒の中のテップ等の一人当たりの摂取分量は、(5÷20)×0.5×0.93=0.11625すなわち約〇・一二グラムとなり、前記の致死量(体重五〇キログラムの人で〇・一五グラム)ともほぼ合致する。

この点について、前記野村鑑定、野村証言及び別表第一の63(以上の三個の証拠をまとめて以下「野村鑑定等」という。)は、マウスを用いての毒性実験の結果に基づき、「従前の文献上の致死量は高過ぎると考えられ、請求人の自白とほぼ同じ条件でニッカリンTを本件ぶどう酒に混入したとしても、ニッカリンTの量が五立方センチメートルである限り、ニッカリンTが混入している本件ぶどう酒を摂取した一七名中五名が死亡し、一二名が受傷したというのは理解し難いのみならず、当審で検察官から提出された『ブドウ酒中のTEPPの検出ならびに分解について』と題する論文(日本食品衛生学雑誌・一九六二年三月号、以下「三重県衛生研究所論文」という。)及び『新農薬研究法』(南江堂)中の第一一章(池田・上田)を考察すると、前者によれば五〇パーセント致死量にも達しないニッカリンTが混入されたに過ぎないものを摂取しただけであるのにマウスがへい死したことになり、後者によれば人の脳に対するテップのコリンエステラーゼの五〇パーセント抑制量はラットの脳に対する量の八倍量となっており、テップの人間に対する致死量はラットより遙かに多くを要すると考えられるから、本件事件に用いられたニッカリンTの分量が請求人の供述のとおりとするならば、量的に矛盾を生じる結果となり、テップの混入は他の経路からなされたか、右供述が真実に反するかのいずれかであるとしか考えられない。」と指摘する。

確かに、野村鑑定等によるならば、野村隆哉は、本件事件で請求人が本件ぶどう酒に混入したとされている日本化学工業株式会社製のテップ剤(商品名ニッカリンT・本件農薬)が既に製造中止となっていたため、シュレーダー改良法に則りテップ剤を合成し(以下この合成にかかわるテップ剤を「合成テップ剤」という。)、まず予備実験で、合成テップ剤〇・九二パーセントを含有する水溶液を作り、これをマウス一〇匹に体重一グラム当たり一〇〇〇分の一立方センチメートルの割合で経口投与したところ、死亡したマウスは二匹であったことと、本実験で、合成テップ剤五立方センチメートルを蝶矢洋酒醸造株式会社製の白ぶどう酒一・八リットルに注入し、気温摂氏一五度において三時間静置したのち、これを、マウス一五匹に体重一グラム当たり一〇〇〇分の一・八一立方センチメートルの割合で、マウス一五匹に体重一グラム当たり一〇〇〇分の一・六四立方センチメートルの割合で、それぞれ経口投与したところ、三匹が死亡し、他のマウスには異常がなかったことが認められる。

(2) 野村鑑定の問題点

しかしながら、マウスの経口投与の際における投与方法の正確性及び投与マウスの数や投与回数等に、後記アからウまでの諸点を併せて考慮すると、コリンエステラーゼのテップ毒性の抑制効果に若干不明な点は残るものの、野村鑑定等中の、テップの致死量に関する従前の文献に誤りがあるかの如くいう部分や請求人が本件ぶどう酒に混入したと自白しているニッカリンTの分量では本件事件のような大量の死傷を招かないから請求人の自白には問題があるかの如くいう部分はにわかに信用できず、むしろ、後記アからウまでの諸点や野村隆哉の実験結果に三重県衛生研究所論文を加えて総合判断すると、合成テップ剤やこれを後記白ぶどう酒に注入したのちの合成テップ剤入りぶどう酒は、請求人がニッカリンTを混入したのちの本件ぶどう酒の毒性に比して、相当その毒性を減弱していたのではないかとさえ推認できる。

ア 毒性

野村鑑定等は、合成テップ剤の中のテップの含有率について、文献上の数値である四三・六パーセントを前提として判断を進めているところ、合成テップ剤中に右割合のテップが含有されていたことを窺わせるに足る資料は見いだせないから、野村証人の「合成テップ剤中に五〇パーセントから六〇パーセント近いテップが含有されているのを確認した。」という供述や、同証言が右供述の根拠とする野村鑑定に添付されている図1・図2や野村証言中の「いわゆるMMR法によって量的な関係を調べた。」旨の説明等の存在にもかかわらず、野村鑑定等の証明力は、さほど大きいものとはいえず、しかも、ニッカリンTの中には、テップのほかにも、前記のように、ヘキサエチルテトラフォスヘイトのような有毒成分や展着剤や乳化剤等が相当な割合で含まれているのに、合成テップ剤については右有毒成分含有の有無や含有の割合を示す明確な資料は見当たらないうえ、野村鑑定等ではニッカリンT(本件農薬)や合成テップ剤の毒性の判断を進めるについてこれら含有有毒成分の存在を全く無視し、かつ、右展着剤や乳化剤がテップの分解を抑制する作用を有するか否かの検討をも欠いている。

イ 保管方法

野村証言によれば、合成テップ剤が合成されてからマウスへの投与実験開始まで一週間の間隔があったことが認められるところ、野村証言は「その間三角フラスコに入れ、ゴム栓をして冷蔵庫内に保管した。」と述べるものの、テップは、前述のように、加水分解して毒性が減弱する性質があるから、右保管方法が万全であったか否か、やや疑問が残る。

ウ ぶどう酒による毒性変動

一般にぶどう酒と呼ばれているものには本格的なワインの範疇に入るものといわゆる甘味果実酒といわれるものとがあり、本件ぶどう酒は、本件旧証拠中の西川善次郎の供述等からみて、甘味果実酒の範疇に入るものと認められるところ、野村隆哉が合成テップ剤を混入した蝶矢洋酒醸造株式会社製の白ぶどう酒は右いずれの範疇に入るか不明であり、しかも、本件旧証拠中の萩野健児の供述、検察官提出の前記三重県衛生研究所論文及び別表第一の67によれば、ぶどう酒のアルコールの濃度やアルカリ度の差異はぶどう酒の中に注入されたテップ等の分解による毒性減弱に相当の影響を及ぼすことが明らかであるのに、野村鑑定等はこれらを考慮の外に置いている。

(六) 結語

以上のとおりであって、本件新証拠はもとより当審で取り調べた全証拠を併せ検討しても、本件旧証拠中の請求人の自白の任意性や信用性は動かし難く、他に右判断を左右するに足りるあらたな資料は請求人が当裁判所に提出した証拠の中に見当たないから、請求人の前記主張は失当である。

8  まとめ

先に説示した証拠の明白性に関する判断の過程に従って吟味、検討を重ねた結果、本件新証拠により多かれ少なかれ証明力が減殺された本件旧証拠は、前記のとおり、柏谷鑑定(柏谷ら証言を含む。)と古田鑑定(古田証言を含む。)と松倉鑑定(松倉証言を含む。)との三鑑定のみであるところ、右三鑑定とも本件替栓の歯痕が請求人の歯牙によって印象されたとしても矛盾は生じないという限度でなお証明力を有することは前叙のとおりである。

(一) したがって、

(1) 右の限度で証明力を有する右三鑑定とその余の本件旧証拠とにより認められる事実関係、とりわけ、

ア 何人かの本件ぶどう酒への本件農薬混入により本件事件が発生したこと

イ 本件事件発生前請求人方には有機燐製剤ニッカリンTが保管されていたのに、本件事件発生後これが請求人方からなくなっていること

ウ 請求人は本件事件発生当日の本件一〇分間の間ひとりで本件ぶどう酒の置かれていた本件公民館内にいたことがあったから、請求人には本件ぶどう酒へ本件農薬を混入する機会があった(反面、チエ子やヤス子やフミ子等の三奈の会関係者には右混入の機会があったことを窺わせるに足りる証拠は存しない。)こと

エ 請求人にはチエ子やヤス子に対する殺意(更に、右両名以外の三奈の会女性会員に対しては未必の殺意)を抱くに足りる動機があったこと

オ 本件事件発生直後本件公民館内において請求人は他の男性会員が苦悶する女性会員の介抱に懸命になっている最中、ひとりだけ、茫然とうつむいて座っていたことなどの事実関係に、

(2) 本件旧証拠中の請求人の自白をも併せて総合判断すれば(請求人の自白調書を除外した爾余の証拠だけでも請求人が本件確定判決認定判示のとおりの犯行をしたと断定するになんら支障がないとした本件確定判決の判断には賛同できない。)、

(3) それでもなお、本件確定判決の認定判示にかかる「罪となるべき事実」、したがって、請求人が本件確定判決の認定判示のとおりの殺意を抱き、右殺意のもとに本件ぶどう酒に本件農薬を混入したという事実については、本件旧証拠や本件新証拠を含む当裁判所において取り調べた各証拠によっても合理的疑惑は何ら生じない。

(二) 本件被告事件の審理中に既に争点となっており、したがって、本件確定判決も当然念頭に置いて判断を行ったと認められる以下の諸事情、すなわち、

(1) 本件ぶどう酒が〓雄方に届けられた時刻に関する石原利一らの捜査官に対する供述の変動や

(2) 三奈の会の総会開始前に請求人が妻チエ子に「今夜はあまり酒を飲むな。」という趣旨のことをいったことや

(3) 同じく三奈の会の総会開始前に請求人が石原房子に本件ぶどう酒を示し「これは俺のおごりだ。」という趣旨の発言をしたことや

(4) 本件農薬の入っていたという小瓶が請求人自白の場所から発見されなかったこと

等の諸事情を考慮しても、前記(一)の判断は左右されない。

(三) とすれば、本件新証拠は、すべて、請求人に対して無罪を言い渡すべき明らかな証拠に該当しない、すなわち、証拠の明白性が認められないことに帰着する。

第三  結論

以上の次第で本件再審の請求は理由がないことに帰するから、刑事訴訟法四四七条一項により、これを棄却することとして、主文のとおり決定する。

別表第一 証拠書類

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別表第二 証人及び請求人

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別表第三 検証

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別表第四 証拠物

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